アーティストとして制作活動をする傍ら、学校の美術の先生として子ども達を指導している日本人美術家、武谷大介。今回の彼の個展は、子供達のアート作品を模写した作品が中心となる。そんな非常にユニークなコンセプトに注目し、文化、ヒューマニティの視点から彼の作品を高く評価するヨーク大学教授テッド・グーセン氏。教授は、村上春樹の小説の英訳を担当するなど日本文化・言語に造詣が深い。今回は全くフィールドの違う2人が、アートとその表現方法について熱く語った。
武谷大介(以下、D):今回、クリストファー・カッツ・ギャラリーで個展を行ないます。日本を約1年間巡回し、更にアメリカ、スペインを2年間かけて回っていた作品です。
テッド・グーセン教授(以下、T):今はその作品はどこを巡回してるんですか?
D:今は家で眠っています(笑)。今回の展覧会は、僕の生徒にもぜひ見てもらいたいですね。僕は先生として子どもの創造力を理解するために生徒の肖像画を描いたり、(生徒たちが作った)作品を模写したりしてるんですけど、子どもがその作品を見た時、自分の作品だと勘違いすると思うんですよね。その時に彼らがどのように思うかに興味があるんです。
自分の描いた絵は壁に貼ってもらうと嬉しいですよね。そして、それが美術館に飾られるとアート作品として認知されたことになる。でも実は自分の描いたものではなく(僕による)コピー作品だって気づく。子どもは怒ってしまうのか、凄いと思うのか。著作権の話や作品の普遍的価値についてまで話を広げていけると思うんです。
T:大介さんは作品を模倣している時、何を考えてるんですか?
D:子どもを理解したいという事が一番ですね。
T:では子どもが作っている時の顔は?作品を模倣しながら想像する?
D:子供達の顔は浮かんできますね。一般的に、楽しんで作った作品っていい物になっていると思うんです。
ただ僕の模写作品は子どもが楽しんで作った物だけではないんです。中には授業中に捨ててしまったものを拾ってきて模写したのもあります。
T:子どもが作った作品は今どこに?
D:いらないって言って学校に置きっぱなしになっているものが殆どです。生徒が作品を家に持って帰ることはごくわずかですね。
T:子ども達がまだ作品を大切に持っていれば、展覧会に持ってきてもらうのも面白いでしょうね。トロントは日本と違い、多文化主義ですね。大介さんの作品は、その具体的な現実を鑑賞者に示しているように思いますが、その点はどうですか?
D:それはあるかもしれませんが、思いつきませんでした。多文化主義の中で生きる子どもたちをモチーフにした僕の作品が日本人に与えることのできる影響力ということですか?
T:私は先日、日本から帰ってきたばかりなんですが、例えば、日本の社会問題の1つとして出産率の低さがある。さらに高齢化の社会現象がありますからお年寄りの介護が日本人でなく外国人になるという可能性がある。日系の方々をはじめ、フィリピン人やロシア人、中国人などに来てもらって福祉制度をサポートするケースが増えてくるでしょう。そうすると、その人達の家族が日本の学校や社会にどうやって溶け込んでいくかという問題が出てきますね。将来的には、多文化主義も日本の問題となるでしょうし、世界的に見てもカナダのような多文化主義に移行するでしょうから、日本も学ぶべき事があるでしょうね。
D:日本は常に外国から文化を取り入れるという事をしてきましたが国内で多文化の価値観を共存させるという経験はしてこなかった。僕の教えている学校では、人種、宗教、国籍も様々。多文化の中でも個々の個性が輝いて素晴らしいと思っています。逆に、日本のように(単一の)文化色が強い国では宗教とか政治を背負って一緒にやっていくのは難しいことのような気がします。
T:ところで、美術セラピーという言葉がありますが、子どもの個人的な悩み、例えば親の喧嘩やいじめなどの苦悩も作品に影響しますか?
D:影響しますね。小学1年生の課題で、床の上に大きな紙を敷いてクラスメイトに体をなぞってもらい、それに自分で色をつけて自画像を作りました。ある生徒は色をつけながら『I
am stupid』って絵の上に書いたんです。普通の先生だったら何でそんな事かいたんだ、すぐに消しなさい、ってなるけど、僕は模写を通じてどうしてそう書いたのか、凄く分かった。学校でも家でも上手くいかずにフラストレーションが溜まって、「僕は『bad
student』だ」って思ってしまっていたんだと思います。アートは言語などに比べて抽象的な表現なので、『I am
stupid』と書いても素敵な作品になります。成績が悪かったり、先生の言う事を聞かないと廊下に立たされたりするじゃないですか。それでもいいんだってことを子ども達に感じて欲しいんです。アートはそんな苦しみさえ素敵な作品にしてくれるんだって。
アーティストとして技術を学ぶ目的で模写するのと、自分が教えている生徒をもっと分かりたいという先生として模写するのでは全然意味が違います。でも、僕はその両方でやっていますね。そうすると模写を通して本当に生徒一人一人の内面が見えてくる。いろんな気持ちが、作品には込められている。
T:では大介さんのしていることはちょっと翻訳に似てるね。例えば僕のように小説を翻訳する時には、日本の文化と西洋の文化にある違いを消化して一つの作品として表現する。子どもの文化と大人の文化にもその壁があるでしょ?
D:子どもの絵について語っているのに、大人の価値観、目線で物事を見ていることはざらです。それぞれの価値観を言語に例えれば、僕は子どもの作品を大人の世界に翻訳しているという事なのかもしれません。だから、僕のアート制作と翻訳は似ているという事なのでしょうか。
T:もちろん、ずいぶん違うところもありますよ。アートは創作ですから、雲のように形が曖昧で印象的で、感覚的なものを表現することですね。翻訳は既に表現された物を異なる記号に変換するということではないかな。
D:先生として感情移入したら正しい翻訳ではないかも知れないですね。翻訳は作品を客観的に見て、出来るだけそのままの形で違う言語に変換しますが、僕が思うには作品と作家をより理解していたほうが上手に翻訳出来る。
T:例えば直訳という翻訳がありますが、あまりにも直接的に見ているから作品の深いところは理解してないということになりますよね。翻訳にはもっとリズムを持って作品の内面を表す感覚があります。子どもの文化と大人の文化でも、翻訳されていれば原作があるわけだし、大介さんが翻訳者としてどのように自分の技法を作品にしていくかが大切ですね。
D:そうですね。今は先生をしているので子どもについてやってますが、例えば僕がパン屋さんだったらパンの歴史や製造方法、毎日パンをつくっているそのこと自体を理解する試みが僕の表現方法なのかもしれません。自分の置かれている状況をアートという記号に翻訳しているのでしょう。先ほどお話した多文化主義とも関係してきますよね。僕は今、カナダの多文化社会の一員になっているけれど日本に帰ったらその経験は翻訳して伝えていくべきなんでしょうね。
※写真4枚目 武谷氏の生徒、サラちゃん(10歳)の作品の模写
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