夏の陽射しが降り注ぐトロント・ダウンタウン、レサンドロ・レストランのオープンテラス。真ん中には2台のグランドピアノ。その漆黒のピアノから、真っ白なドレスをまとった女性が珠玉の音色を紡ぎだす。彼女はもう一台のピアノの前に座った男性ピアニストをチラリと見ながら微笑を浮かべるが、その瞳は、時折、挑戦的な光を放つ。
彼女が、2003年スイングジャーナル誌のジャズ・ディスク大賞『日本ジャズ賞』、文化庁主催芸術祭優秀賞をダブル受賞した、若手女性ピアニストアキコ・グレースさんだ。今回は、イベント『日加ジャズエクスチェンジ』に出演するためトロントを訪れた彼女に、カナダの印象からジャズの醍醐味まで、様々なお話を伺った。
「一昨日、トロントに着きました。初めて(カナダに)来たのですが、観光する時間が余りないんですよ。でも、昨日はナイアガラの滝をみてきました。住み着いちゃいたいぐらい素敵なところですね」
そう語る彼女がジャズに魅せられたきっかけは、*オスカー・ピーターソンの『カナダ組曲』だったという。ピアノ教師であった母親の影響で、英才教育とも呼べるピアノレッスンを受けてきたが、オスカー・ピーターソンの音色に出会うまでは、クラシックオンリーだった。
「小学生の頃から、練習が一日、何時間って決まっていて、凄く厳しかったんです。遊びに行きたいし、部活へも行きたい。色んなものに興味がある中で、たった一人でピアノの前に座って、自分への刺激もないまま、鍛錬するという状況でした。『もう辞めたいな』って思ったことは何度もあります…毎日、思ってました(笑)」
それでも、ピアノを続けたアキコさん。ジャズとの出会いが、彼女に新しい世界の扉を開く。
「私はアメリカのボストンに留学したのですが、そこまでたどり着いたのはパッション。これ(ピアノ)をやる事で、どれだけお金が取れるかって事は全く考えたことなくて、本当に好きだった、本当に好きだから突っ込んでいったんです。たった一人で、住むところも決めないで、鉄砲玉みたいに飛んでっちゃったんですけど。それは一体なんだったのかな? って今思うと、やっぱり情熱一本だったのかなって思いますね。これが好き、これを知りたい、ジャズを知りたい、即興演奏をしたい。私の相棒であるピアノを使って…」
その相棒と共に、彼女はカナダの地で素晴らしい音色を奏でた。まるで音を使って会話をしているかのように。
「初めて会った人とセッションするっていうのは本当に真剣勝負で、相手がどんな音を出してどんな音楽性で…ということを瞬時に察知しなきゃいけない。まるで音で会話してるみたいな感覚ですね。『こう来たらどう?』なんて投げかけて、その返事が『ああこうきたか』って。むこうが『これはどうかな?』って話題を出してきたら、それを受けるとか、『こっちもあるよ』って言ってみたりとか。
ニューヨークに一時、住んでいたんですが、国境を越えてカナダに来たのは今回が初めて。カナダの音楽的な特長ということに関して先入観なしに来たのですが、(カナダ人ピアニストとのセッションは)すごく温かいし、楽しいです。わくわくするというか、本当に…楽しい」
イベントの最初には、アキコさんによるソロ演奏も行なわれたが、ソロとセッション、2つの異なる演奏体系は、彼女にとってどのような意味を持っているのだろう。
「1人しゃべりってあるじゃないですか? ソロはそんな感じですね。脱線しても戻ってくるっていう、自分だけの世界。そして会話のように、新しいものが、自分にはなかったものが入ってきて、それによって(お互いの持つ)色がブレンドされて、新しい色が出てくるのがセッションですね」
それがアキコさんが魅了されたジャズの醍醐味なのだろうか?
「そうですね。その瞬間の煌きっていうか、その時しか出せないものがあります。次に聞いたら全く違うものになると思います。音もそうだし、音響もそうだし、その場所にもよるし…たとえば、会場に光が入って来たりとか、それらの1つ1つを音に映していく。凄くリアルで、今の瞬間を表したものを出していると思います。その時の精神状態とか、雰囲気とかね。
それがやめられない。本当に生きてるって感じがする。感覚ってあるじゃないですか? 感覚を大事にして生きようと思ってるんですけど、同じモノを見てもどこをみるか、どんな風に見るかによって凄く自分が受ける感覚が変わってくると思うんです。それを素直に音に出していきたいと思っています」
アキコさんの素直な感覚が感じ取ったカナダの温かさや、セッションを楽しむ気持ちは、その音色に耳を傾けていた多くの観衆に感動となって伝わる。そして、演奏者同士だけでなく観客との間にも会話がなされ、皆が『エクスチェンジ』というこのイベントの醍醐味に酔いしれる。
「今は東京が拠点なんですが、自分が拠点にしているところだけじゃなくて、いろんな場所で、様々な考え方と価値観を『エクスチェンジ』したいと思っています。その地のアーティストの方と出会って何かをもらって、それを大事にして帰るわけじゃないですか?だから、逆に私も何か、少しでもその場所に置いていけたら…。日本人としてのルーツを大事にしていきながら、そんなことをしていきたいですね」。
*『鍵盤の皇帝』との異名をとる、世界的に著名なピアニスト。1925年、モントリオール生まれ。
〈インタビュー/西尾 裕美〉
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