激動の南北朝時代に生まれた舞台芸術『能』。日本が誇る世界無形遺産である。今回は日本独特の優美なその芸術を継承し、国内外で精力的に演能・講演を行う能楽師の一人である河村晴久氏が、カナダ『能』組織委員会(Canadian
"Noh" Organizing Committee)の招きを受けてトロント、オタワ(ガティーノ)で公演を行うと聞き、早速インタビューを申し込んだ。
カナダはもちろんのこと、オランダ・アムステルダム、ギリシャ・アテネやアメリカ・ヒューストン、デトロイドなどの各地で演能を行い、またハーバード大学などの教育機関でも公・講演をしている河村氏。学生時代に留学などで海外へ目を向けることがあったのかと思い、質問を投げかけてみると、そうではないようだ。
「私は、海外に縁がないものと信じ込んでいたんですよ。実際、30代半ばぐらいまで海外旅行をしたこともなかった。それが(知人からの招待で)、1994年にアメリカのワシントンDCで公演させていただいてから不思議なご縁が続いて、今回もこうしてカナダに来ている次第です」
河村氏の最初の海外公演、日本の伝統美は現地の人の目にはどのように映ったのだろう。
「私は日本で話していることと同じことを英語で喋りまして、とりあえず観客は喜んで聞いておられたのですが、何かが違うんですよ。博物館の学芸員の方相手の公(講)演だったんですが、みなさん珍しいものを見て喜んでおられるけれど、何かこう、違うんですよ、観客の反応が。よくよく考えてみれば、翻訳してるから文章全部が日本人の頭の回り方だったんです。これじゃいかんと気づきまして、現地の方の感覚の合うやり方を一生懸命考えました。当たり前のことなんですけど、なるほど、海外で紹介、公演するということはこういうことなのかと思いましたね。
私自身、英語は上手ではないです。要ると思っていなかったので、中学校から大学と普通に勉強した、それだけなんです。だから、中学校レベルの英語の構文しか使わないし、使えない(笑)。ですけど、言いたいことが山ほどあるんで、1時間でも2時間でも英語でしゃべり続けます。自分の口で伝えなきゃいけないと思いますし…」
しかし、一般的には能は敷居が高いという感覚がある。日本人でさえそうなのだから、日本と異なる文化を持つ国では、輪をかけて『肩が凝る』ものと理解されてしまわないだろうか。
「そうですね。能は、室町時代の起こりからして、武士階級が貴族に憧れて作られたものです。もともとは庶民の楽しむものだったんですが、足利義満が観阿弥・世阿弥という人を見出した。すると彼らは、義満の好みに合うようにしようとする。義満は武家の棟梁であり貴族文化に憧れた人でもありますから、貴族文化を基にしたものが作られていくと、能はレベル(敷居)の高いものへと移っていくんですよ。そして、武士・貴族は『能』、庶民は『歌舞伎』ということになっていくんです。そういう意味では難しいと言えば、そうなんです。
けれども、例えば10世紀の恋物語を14世紀の人が書いた『井筒(いづつ)』という作品は、現代の私たちでも感銘を受けます。人を本当に好きになるということはどういうことか、その人を待ち続ける、死んだ後も待ち続ける…。(井筒は)そこまで恋をしている女性が主人公なんですよ。この主題は、日本人でなくても世界中の人に分かってもらえると思います。そんな女性を表現するのに、能はこういうかたちを取るんですよということを見てもらいたいですね」
そのかたち、つまり能独特の『型』が最初は取っ付き難いのだ。しかし河村氏は、そこが魅力でもあると言う。
「能というのは型を通して表現するので、がんじがらめといえば、がんじがらめです。でも、その中で非常に大きなものを表現出来るんです。日本のものはなんでもそうで、初めは覚えるのが大変。でも、それを身に着ければ表現が広がる。型があるから、迫力・気迫が伝わってくる。そこに、ものすごく能の魅力を感じますね。
(一般の方が)能を見る時は、少なくともあらすじを予習していただくことは大切です。私は演能の前に解説をしていますが、解説をすればするほどイメージを限定してしまう。いつもジレンマでね。話さないと取っ付きが悪いんですが、話しすぎてもいけない。本当はご自身でイメージを膨らませていただいたら良いわけです。分かる、分からない、理解する、理解しないというよりも、もっと大事なことは『感じること』ですね。芸ですから感性なんです。能というのは型が決まってるので、型さえやったら見た目はいい。でも、プラモデルみたいなもんでして、そこに何かがなかったら感動は呼ばないですね。その何かが演じ手の気迫なり感性なのだと思います」
河村氏は、日本では幼稚園で能について語ったり、修学旅行で京都を訪れた高校生に、実際に能舞台を見せてレクチャーすることも多い。
「若い人に理解して欲しいので、そういう活動をしてます。
外国の方が能の世界に入ってきてくださることや研究なさることは、大いに結構だと思います。日本の考えや、やり方を少しでも理解していただけたら有難いと思います。しかし、今の日本人は(伝統芸能に)触れる機会があまりにもなくなってしまった。外国に出ていって、『日本の文化ってどういうもの?』と聞かれた時に、色んなことを知ってて欲しいと思うんですね。外国へ行くことはもちろん素晴らしいですが、能をはじめとして、もっと日本のことも知ってください」。
(写真)『井筒』からの一場面(トロント公演にて)
〈インタビュー/西尾 裕美〉
|