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路地裏のファインアート・グラフィティの世界 |
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| グラフィティ文化の発祥と歴史 |
〜1960年代
グラフィティ(イタリア語『graffito=落書き』の複数形)は、第二次世界大戦以降、アートの新しい表現方法として誕生。 68年にライター(用語集参照)、タキ183がニューヨーク・タイムズの記事で取り上げられたのをきっかけに、グラフィティは一つの社会現象となる。
〜1970年代
スプレーペイントが手軽に入手できるようになると、ニューヨークのソーホーからヴィレッジ地区の壁や地下鉄の車両などで、無名の若者によるグラフィティ・アートが見られるようになる。
当時のグラフィティは、自分のニックネームや名前の後に住所の番地などを入れたものが主流。その後、警察から身を守るなどの理由から、文字は判読できないようなスタイルに進化する。
地下鉄駅には『ライターズ・コーナー』と呼ばれる場所ができ、ライター達の情報交換の場となる。フェイズ2(Phase2)やフューチュラ(Futura)といった伝説的ライター達が活躍したのもこの時期。
75年にグラフィティ・アート同盟が設立されると、ライター達の活動の場は次第に街角からギャラリーに移行していく。
〜1980年代
メジャーなギャラリーでグラフィティ・アートの展覧会が行われるようになる。しかしその一方で、安易な模倣や表現場所の規制などで、かつての勢いが失われていく。この時期を代表するアーティスト、キース・ヘリングやジャン=ミシェル・バスキアが、グラフィティの表現様式を確立した。
〜1990年代
米国は好景気を迎え、93年に就任したジュリアーニ市長による、治安改善のための大規模な政策が行われる。ニューヨーク市内のグラフィティは一掃され、地下鉄車両も、鋼鉄製からペイントを消しやすいステンレス製の無塗装車両に変わる。
〜現在
現在ニューヨーク市内で多くのグラフィティが見られるのは、プエルトリコ系地域であるイースト・ハーレムを始めとする一部の地域だけになってしまった。一旦メジャー・アートの舞台に立ったグラフィティだが、現在は都市におけるサブカルチャーへの回帰を果たしたようだ。
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| トロントにおけるグラフィティ文化 |
多民族都市トロントでは、アクティブで多様化したグラフィティ文化が特徴。クイーン・ウエスト地区やバサースト沿いではグラフィティがいたるところで見られ、またキール駅から線路沿いに延々と続く作品群も有名。
クイーン・ウエストなど比較的アーティスティックな住民が多く住むエリアでは、建物のオーナーの許可を得て描かれたものも多いが、他人の所有物に無許可で描くのはもちろん違法。グラフィティ・アーティストの間では、教会や一般民家、自家用車には描かないという不文律も存在するという。(企業の所有物であるトラックは例外)。
地下鉄やバス、レストランの窓ガラスなどには、エッチング・クリームやスクラッチによるタグ(用語集参照)が多く見られる。これはれっきとした犯罪行為であり、この種の行為をグラフィティと認めないライターも多い。
あるライターが描いたグラフィティの上に他のクルーに所属するライターが上描きすることで、クルー間のバトルが発生することもある。しかし、トロントではこうしたバトルが暴力沙汰に発展することはあまりない。
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・001 グラフィティ文化の発祥と歴史
・002 アフロ・ブラジル文化の誕生
・003 自動車メーカーのプライド
・004 2003年 夏、ビール派宣言
・005 東カナダ2大都市のジャズ・フェスティバル
・006 A Day in The Wilds
・007 GO!GO!ブルージェイズ
・008 大空を描く飛行機家たちのロマン |
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