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大相撲で2場所連続優勝を果たした白鵬が、第69代横綱に昇進した。白鵬には期待の声が多く寄せられているのだが、同じ横綱である朝青龍のような品位に欠ける振る舞いはするな、なんて意見も目立つ。完全に悪者としてのレッテルを貼られている朝青龍だが、そんなに悪く言う必要があるのか?
相撲ほど格式や伝統を重んじるスポーツも珍しい。相撲がいつ発足したのかは知らんが、恐らく何百年も前に発足した時と考え方は全く変わっていないのであろう。俺にはそれが良い事ばかりとも思えないのだが…。
相撲では真っ向勝負を避けるフェイントのような技を嫌う。このフェイントを相撲用語では『変化』と言うが、まるでこれが実情を表しているかのように、相撲の世界は時代の変化を嫌う。新しいものを受け入れることを徹底して拒み、いつまでも時代錯誤な考え方を貫き通す。俺は、詳しくはないが、相撲も嫌いではない。でも何か物足りない。スポーツの醍醐味である熱い感情が見えないのだ。スポーツとは選手が熱い感情をプレーにぶつけるもの。だから、選手が感情を体一杯で表現しても悪いとは思わない。だが、相撲ではそういった行為は品位に欠けるのだそうだ。激闘の末に勝利しても、力士はガッツポーズをすることさえ許されない。惨敗した不甲斐ない自分に対して、怒りを露わにすることも許されない。勝っても負けても淡々と振る舞い、無口無表情でいることを義務付けられているのだ。
横綱が『変化』を使うと卑怯者呼ばわりされることもおかしな話だ。相撲以外のスポーツに当てはめれば、強振せずにヒットを量産するイチローなんてキングオブ卑怯者じゃないか。変則攻撃と回転レシーブを駆使して金メダルを獲得したバレーボールの東洋の魔女は、卑怯者集団の極みだろ。
今までの横綱とは違い、感情の起伏の激しさを見せたり、時々『変化』を使う朝青龍は評論家や横綱審議委員会から批判されてばかり。でも外国人力士に圧倒されっぱなしの情けない最近の日本人力士とは違い、朝青龍は相撲に対する情熱を素直に表現しているだけ。熱心な相撲ファンや関係者は「相撲においては」と言い訳して俺の指摘を否定するだろう。だが、それこそが時代錯誤。国技館の客席を見て欲しい。一体どれだけの若者が観に来ているか。どれだけの子供が力士に憧れて観戦しているか。朝青龍の振る舞いが全ての解決策となるわけではないが、言葉も文化も違う国からやって来た力士の考え方や人格を一つのキッカケとして、参考にする懐の深さと柔軟性を見せないと相撲の将来は暗い。伝統を大切にすることは重要だが、それに固執して競技そのものが衰退したら元も子もない。相撲は今、大事な転換期に来ているということを認識するべきだと思うのだ。
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