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俺が映画の紹介なんてしたらシネマサト氏に申し訳ないが、先日、とても興味深い映画を観たのでその話をしたい。タイトルは「100万ドルのホームランボール」(原題 Up For Grabs)。この映画は2001年にジャイアンツのバリー・ボンズが打ったシーズン最多記録となる73号ホームランのボールの所有権を巡って起こる騒動のドキュメンタリー。ドキュメンタリーと言えばシリアスであったり感動的であるものと映画音痴の俺は勝手に想像していたのだが、この映画は実にマヌケでくだらない。そして笑える。大の大人が一個のボールを囲み、捕った、拾った、盗まれた、と大騒ぎをするのだ。奴等が手に入れたいのは素晴らしい功績の証ではなく、ボールに付けられた金額。もっともらしいことを言えば言うほどアホに見えるから面白い。当事者だけではなく、当日、その場に居合わせた目撃者達も加わって独自の見解を熱弁する。
自分が最初にボールを捕ったのにグローブの中から盗んだとして、日系人が訴えられたこの裁判の判決内容をスポーツバカの俺は知っていた。当時、ニュースや野球雑誌も取り上げていたからね。それ故、パンフレットに書かれていた「映画の結末を口外しないでください」というメッセージの意図がよく分からなかった。ところが! 俺の知らない結末が待っていた! ドラマさながらのエンディングに館内は爆笑。いや失笑と言うべきかな。とにもかくにもこの映画はユーモラスであったが、それだけではない。本来の目的とは別のところで、奇妙な事件が起こり得る現在のスポーツを浮き彫りにしたこの題材は、考え方によっては悲しいテーマなのかもしれない。
映画館を出た後に考えてみた。物事の価値ってのは金額で表さないと意味を成さないものなのか? そんなことはないと誰もが答えるだろうし、価値とは人それぞれである。でも、世の中は価値を明確化したがる傾向にあり、そのための手段として金額という一目瞭然の基準を用いる。そしてそれはビジネスへと繋がる。物事の価値を金まみれにする構図は実に醜いが、それが現代社会なのだ。俺達は金が全てではないという理想を抱きつつも、知らず知らずのうちに、金でしか物事の優劣を計れない社会の中で生きているのだ。ホームランボール事件はこんな社会を映し出しているのだ。また、スポーツ選手達が自分の功績を主張し、年々サラリーが高騰していく状況も、単なる選手のエゴではなく俺達が作り上げた社会の縮図なのかもしれない。
何にでも値段を付ける起業家が居て、あらゆるステータスを金額に換算する消費者がいる。こんな食物連鎖みたいな状況を嘆く俺は心が綺麗なのか? それとも貧乏故に嫉妬しているのか? 恐らく後者だな。きっと新記録のボールを手にしたら醜い本性を現すはずだ。
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