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先日、あるプロスポーツの試合でちょっとした揉め事があった。A選手がB選手を挑発して両チームは乱闘寸前。乱闘や揉め事は確かに良くない。でも選手の闘争心やプライドの表れと、俺は良いように考えることもある。ところが今回の事件はファンが予想以上に騒ぎ出して話がデカくなってしまった。その論争では、主に挑発されたB選手のチームのファンが文句を言っている。ここで威力を発揮したのが「子どものために」というフレーズ。
そのスポーツリーグは、とある少年が運動中に心臓発作で亡くなった事故をきっかけに、同様の事故を未然に防ぐために基金を設立し、様々な活動をしている。ひねくれた見方をすれば、リーグはお涙頂戴のエピソードを利用してリーグ自体を宣伝しているということになるのだが、偽善だろうが何だろうが実際に動いているリーグのコンセプトは間違いなく地域や社会への素晴らしい貢献だ。先日の揉め事で騒ぎ出したファンは、リーグのこの活動を利用してA選手を口撃した。「教育上良くない」「A選手の行為を目撃した子ども達が可哀想」「死んだ少年が悲しむ」「天国に居る少年はこんな行為を望んでいない」などなど。なんだかズルいね。
たとえば誰かと誰かが口論になる。何故間違っているのか、何故悪いことなのかを説明することが出来なくても「子どものために」という美しいフレーズを持ち出せば相手は言い返すことが出来ない。本当は単に相手が腹立たしくて憎たらしい。それを言うとカッコ悪いから偽善めいたことを言って周りを味方に付ける。こんな卑怯な行為こそ、実は教育上良くないんじゃないのか?
プロスポーツを取り巻く環境に必ず付いて回る「子どものために」のフレーズ。だが言う奴の大半が子どものことなんか考えちゃいない。観客のマナーはなかなか向上しないし、甘やかされて育ったクソガキが試合そっちのけに客席で悪さをしていても周りの大人は誰も注意しない。まさに現代の育児や教育の縮図。
家庭ではまともに子どもをしつけることが出来ない。だから親達は何でも学校のせいにする。そして学校の対応が悪いと「子どもが可哀想」「子どものために何とかしろ」となる。まずは子どものことを考えなければいけない親が、それを放棄して他人に押し付けた結果、腹癒せで「子どものために」というフレーズを利用する。
今回の事件だって、ファンは子どものことを考えたのではなく相手選手が憎たらしいから文句を言ったまでだ。教育上良くないという建て前で。しかし子どもは選手の乱闘なんて真似しない。大人達の腹黒い策略を真似るのだ。「とりあえず何か綺麗なセリフを言えば上手くまとまる」「社会で大切なことは同情票を集めること」こうして人格形成されていく。本当に教育上良くないのは、一体誰だ?
【メイルマン】
90年、北米以外で初めてとなるNBA公式戦ユタ・ジャズ対フェニックス・サンズの日本開催を偶然観戦。そこでスピードとパワー、ファッション性に圧倒されて海外スポーツの虜となる。
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