キャシーの日々ハッテン day.100(2015年8月7日記事)

ゲイという自分を意識 しなくてもいい社会

ゲイ友達やリベラルな人たちに囲まれて生きていると、たまに自分がゲイであることを忘れてしまう。映画館で彼と寄り添ってラブコメを楽しんだり、ロマンチックなディナーに出かけたり、手をつないで繁華街を歩いても、自分にとってそれは日常の一コマに過ぎない。しかし、例えばすれ違い様にものすごい形相で睨まれたとする。その瞬間、自分がゲイであって、周りとは違って、未だに多くの差別や偏見があることを再認識させられる。

小さい頃から隠さなきゃと必死になっていた反動か、カミングアウトしてからはこれでもかと自分がゲイであるとアピールした。レインボーのアクセサリーを身につけない日はなかった。他人に「ゲイです」と言えて、どんなに嬉しかったか今でも鮮明に覚えている。そうした小さなことが積み重なって、自分自身をより受け入れられるようになった。ところが、オープンなゲイとしてある程度生きていると、しだいにカミングアウトが億劫になった。別に隠したかったわけではない。カミングアウトの必要性に違和感を感じていたのだ。「ストレートの人はそんなことしないのに、どうしてゲイはわざわざアピールするの?」他人の痛みを理解しない人にそんなことを言われて、ハッとした。自身がストレートだと主張しなくても済むというのは、恵まれている証拠である。こっちだって、できれば自分がゲイだということを意識せずに生きたい。ただ、社会はそう簡単にはほっといてくれない。ゲイだとわかればそこしか見てくれないし、ゲイだとわからなければ存在自体を忘れられてしまう。

ゲイだったり、人種だったり、障がいだったり、人間はみんな少し違う。この社会に生きる私たちはその違いに敏感だ。そして、些細な違いは人間を「フツー」と「フツーじゃない」に分ける。そうやって偏見が生まれ、差別が起きて、暴力へとエスカレートしていく。もしも、そうした違いを受け入れることができたなら、社会はもっと暮らしやすい場所になっているだろう。自分のことを隠す必要がなく、なおかつ常に自分が周りとは違うと意識する必要もない。そんな世界で生きてみたいと夢見るのは贅沢なのだろうか。


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