気分は生活習慣病 (2014年1月10日記事)

vol.229 首の皮一枚でクビ

nob morley

ある日の朝、私こと笑福亭ひらめの首は殆ど落ち掛けていた。唯一の味方である師匠の奥さんから「今日の落語会でトチッたら、ホンマにもう後は無いから覚悟しときや!」(*トチる=遅刻するという意味合いの方がよく使われるが、失敗するの意味でも使われる)と云われた時は、いよいよ奥さんにまで見放されたか…と完全に噺家の道を諦めかけたが、実は奥さんが買い物に出掛けるフリをして、師匠にバレないように外でこっそりと電話を掛けて来てくれたのだ。そのことを知ると、涙が出そうになる程、嬉しかった。

然し、ひらめの状況は嬉し涙を流しているような余裕ある感じでは一切無かった。悲し涙の方が限りなく近い、『首の皮一枚』まさにそれだけで何とか胴体と繋がっているという感じで、歩けば身体の振動により、頭部がグラングランと揺れているような、そんなギリギリの状態で、いっそ自分の手で引きちぎり、本来の森田展義という一般の人間に戻って、別の世界を目指した方が楽な気がした。然し、そういう訳にはいかない。彼女の誕生日に師匠から『ひらめ』という名前を貰ったり、初舞台を倒れそうな状態ながら見に来てくれたり、様々なことや色んな想い、そして何より奥さんの気持ちのこもった計らいが自分を何とか今の状態で留めようと、いや、留めなくてはならなくした。

師匠宅を訪れると、いつにも増して険しい表情の師匠。奥さんはと云えば、ひらめにあんな電話をしてくれた人と同一人物とは思えない程、師匠よりも険しい表情をひらめに向ける。一瞬「え? 俺、奥さんにハメられてるん?」と不安になる程であった。然し、奥さんは師匠に全ての事を感付かれないように、何なら師匠に「あの子、もうクビにして!」と言って、師匠以上に弟子に大して冷たく当たり、師匠に弟子への愛情をわざと抱かせるようにして「いや、もうちょい様子を見るわ…」と言わせるぐらいの芝居をしていたのである。ジョディ・フォスター等の名女優顔負けの実に芝居の巧い女性である(何故ジョディ・フォスターなのかと訊かれても、特に大した意味は無いので、サラっと流して頂きたい)。
部屋に充満する痛々しい程、冷たい空気で、ひらめの残された首の皮は、点線で切り取り線が書かれているぐらい、少しの力で切れてしまう弱々しいものであることが分かった。これが切れたら”終わり“という状況が余計にひらめを奮い立たせた。

とは云え、何故、師匠はそんな状況ながらひらめの首の皮を一思いに切らなかったのか? 実は切らなかったのではなく、切れなかったのである。と云うのも、この日、ひらめの二度目の舞台の日だったのだ。

師匠からすれば「アホなことをした…」と悔やみしか出てこないであろうが、ひらめからすれば初舞台の前に既に次の高座の予定を入れてくれていた師匠に多大なる感謝である。師匠の荷物や落語会の荷物一式を車のトランクに入れる。一切、私に向けて言葉を発しない師匠…それでいて、ひらめの一挙手一投足に注意の目を配る。奥さんの運転で車は走り出した。そして、向かう会場は、奇しくも一年前にひらめが師匠に弟子入りを申し込んだ場所であった。  
つづく

 

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