Session 2: 通勤はヒッチハイクで

70年代のカナダ。1ドル360円。北米が無限の夢をはらんだ憧れの地だった時代を想像してみてください。実際に足を踏み入れてみれば、高層ビルは少なく、道は広く、人との距離感は今よりもっともっと近かった、そんな時代でした。

さて、カナダに来て早々大失敗し(詳しくはSession 1をお読みください)、落ち込む私を尻目に、街はクリスマスのデコレーションで華やぎ始めていました。

そんな華やぐ街にはものすごい強風が吹き抜けていきます。…寒い。今まで感じたことのない、内臓が締めつけられるような寒さでした。窓に牢屋のような鉄格子のついた家賃月85ドルのベースメントに住んでいた私は、日に日に下がっていく気温に危機感すら感じるようになりました。だって、寒い日に着るコートがないんです。

ある日、あまりの寒さにガタガタ震えながら歩いていると、道端にギフトラッピング用の美しい包装紙がゴミに出されているのが目につきました。これで何かできないか、即座にそう考えた私はその束をこっそり持ち帰りました。

その夜、日本の折り紙よろしく鶴を折ってみました。なかなかいい感じ。さらに一番安いワイヤーとテグス糸を買ってきて折鶴を吊るしたモビールを作ってみました。ますますいい感じ。…これ、売れるかも!

翌日、それをヨーク大学構内に並べたところ、これが飛ぶように売れたのです。クリスマスには誰もが「それどこで見つけたの?」と言われるような個性的なギフト探しに躍起になっています。日本の折り紙を使ったモビールは当時のカナダには斬新だったようです。

売り上げたお金でやっと冬のコートを買うことができました。さらに、うれしいことが起こりました。どこでどう伝わったのか、なんと「子供たちのサマーキャンプに折り紙講師として来てほしい」という依頼が舞い込んだのです。なにか行動を起こすと、それは必ず「次」につながるものなんですね。

大きな声で「イエス!」と答えて電話を切ってから、ハタと英語ができないこと、それに折り紙の知識もそんなに深くないことに気づきました。でも、英語も折り紙もこのチャンスに独学で勉強すればいいんだと、与えられた機会に感謝したことを覚えています。

そうこうしているうちに、私は英語力をあまり必要としないベビーシッターの仕事を始めました。ヨーク大学には夫婦寮や家族寮があり、意外にも結構ニーズがあったのです。

お金がなかった私は、ベビーシッター先へは毎朝ヒッチハイクで通っていました。今なら考えられないことですよね。

たいてい車で通学するヨーク大学の学生や教授(その中にはヨーク大学名誉教授の布施豊正先生もいらっしゃいました)が拾ってくれました。そのうち、いつも同じ人たちが乗せてくれるようになったのです。その人たちは、貧しかった私たちをサンクスギビングやクリスマスのパーティに招待してくれました。中には自分の実家のトロント北部のオーエンサウンドという田舎町まで招待してくれた人もいました。カナダの人々の心根の優しさに触れることのできた貴重な体験でした。

どうにかこうにか順調に(?)滑り出したかに見えたカナダ生活でしたが、ほどなくして私の体に異変が起こることになります。それにいち早く気づいてくれたのは、ヒッチハイクでお世話になった彼らでした。

Chakoの格言 "窮すれば通ず!工夫力が未来を拓く!"


*チャコ瀬戸山があなたの悩みごと、相談ごとにお答えします。お名前またはニックネーム、年齢、在住地(日本、カナダなど)を添えてEメールにてお送りください。info@shinpugijyuku.com




 

 

 

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