蔵の道其の二十(2014年2月14日記事)

蔵元の後継ぎ達の修行の場が変わった

私達のように、蔵元の後継ぎという立場にあると、家業を継ぐまでのゴールデンコースと言われていたのは、10年ほど前までは東京農業大学醸造学科→酒類総合研究所→大手の酒造メーカーあるいは取引の問屋さん→家業へ戻る、といった形が主流でした。

私も大学は東京農業大学の醸造学科を卒業しておりますが、私が卒業する時に東京の滝の川にあった醸造研究所が東広島に移ってしまい、私は研究所に行くことが出来ない世代でした。

しかし、取引の問屋さんに身をおき、東京を中心としたお得意先を訪問し、家業を継ぐ旨を伝えながら、絆を作って帰りましたので、やはりゴールデンコースを歩んだ1人だと思います。

Sakekasu

しかし、現在はこのゴールデンコースの道のりが変わってきており、大学卒業後、ニューヨークをはじめとして、海外へ渡り修行をして帰る蔵元の後継ぎが増えてきました。その中でも多くの蔵元の後継ぎが修行をしているのがニューヨークです。

現在まで、私の知っている範囲では、山口県の「獺祭」、山梨県の「七賢」、そして山形県の「くどき上手」の後継ぎがニューヨークに住みな がら自分のお酒のブランド力を高め、そして日本酒の会などを多数開催して日本酒全体の普及や啓蒙についても努力しています。 さらに最近では、ヨーロッパ方面も人気が高く、長野県の「真澄」、石川県の「手取川」の後継ぎたちは、アメリカだけではなく、ロンド ンなどのヨーロッパにも住みながら、自社のお酒と、日本酒全体の啓蒙普及をまさにワールドワイドで行なってきました。 彼らの残した軌跡は今後の日本酒業界を継いで行く次世代にとって大きな足跡になります。

私の息子は11歳ですが、彼が大学を卒業、いや、高校を卒業する頃には海外へ留学し、異文化を吸収しながら、日本の伝統ある蔵元の後継者として勉強していく。まさにグローバルな酒蔵が多く登場するでしょう。

私の父の時代は東京へ行くときはまさに一晩かけて夜行列車に揺られ10時間以上かけて行っていました。しかし現在では新幹線で3時間で到着します。そして私達は標準語を当たり前に話し、東京での仕事、東京での友人が多く存在します。私たちの次の世代は、今の飛行機の何倍も速い飛行機で世界をまたにかけ、日本語と英語をしっかりと話し、アメリカにもヨーロッパにもアジアにも友人をつくり、商売につなげていく。こんな姿が世界中で当たり前になる時代がもうそこに来ています。

だから今を生きる私達世代は世界中で日本酒の価値を高め、酒の素晴らしさを次世代のために、伝え続けていかなければいけないのです。輝かしい未来のために。そして子ども達に夢を与えるために。



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