Tomori NagamotoのLife Lessons lesson.20

(2012年1月20日記事)


オードリー・ヘップバーンといえば、ある時代の美の象徴だけれども、後年の献身的なチャリティー活動を見るにつけ表面的な美しさだけじゃなく内面もとても美しい人だったのだろうと想像する。“美しい瞳であるためには、他人の美点に瞳をむけなさい”この言葉は彼女が愛した詩の一節。亡くなる前のクリスマスに、2人の息子たちに読み聞かせたという。
人は無意識でいると、他人の欠点や落ち度の方に目がいくらしい。良い点はよほど目を凝らさないと見えてこないが、欠点はすぐに見つかるからだ。たしかに僕も映画の感想なんかを訊かれると、あれがダメだとかここに無理があるとか、ダメ出しばかりになってしまうことがある。日本の教育のせいにするわけじゃないが、日本のような減点法・イズ・デフォルトの国で育つと、洋服を選ぶ時にもまず布地に問題がないか、ほころびが無いかなどついついアラ探しの方に夢中になってしまう。だから他人を見るにもまず欠点や落ち度がないかが先にきてしまうのだ。他人の美点を見つけるということは、つまるところ物事をいかに公平に見られるかということだと思う。
クリティカル・シンキング(Critical thinking)という言葉があるけれども、あらゆる偏見をいったん取払い、ゼロベースで物事を見ることが大事。つまり良い点は褒め、悪い点はきちんと指摘するということ。日本人はこれが大の苦手である。批判はできるけど、褒められない。なぜなら自信をもって褒めるにはリスクが伴うからだ。
かつてビートルズがデヴューする前、デモテープを持ってあちこちのレコード会社を廻ったが門前払いの連続だったという。音が大きすぎるだとか、騒がしいだけでこれは音楽ではないとか。そこで出逢ったのが後のプロデューサーとなるジョージ・マーティン。彼はビートルズの音楽に何かを感じ、社内の反対を押し切って契約を結んだ。その後の音楽の歴史がどう変わったのかは言うまでもない。そのように全員が反対している中で1人だけ賛成の手を挙げるのは怖いものだし、よほどの根拠がない限りは黙って批判に便乗し、出る杭を打っていた方が楽だ。しかしそれでは新しい芽は育たない。人間誰しも、褒められたい、喜ばれたいという本能を持っている。子どもが絵を描いたときに、褒めもせずに絵の具がはみ出していることを叱ったら、その子はもう二度と絵を描けなくなるかもしれない。まず褒めてやれば、喜んで2枚、3枚と描いて、そのうち絵の具もはみ出さないようになっていくものだ。
いくら美しい瞳でも人の欠点しか見ない瞳は醜いものだ。