Tomori NagamotoのLife Lessons lesson.21

(2012年2月17日記事)

ジブン探しという言葉をもって海を渡ってくる人がいる。小説の第一行目のように華々しいフレーズだ。本当にやりたいことは何なのか、自分は何のために生きているのか、与えられたビザの決して充分とはいえない制限時間の中でその答えを見つけるのはけっこう大変なことだろうと思う。
制限時間がある。これほど過大なプレッシャーはない。 これがスポーツ一般のように時間とルールの枠内で勝ち負けを決めるものだったらわかる。サッカーでゴールが決まらなければブーイングが起きてもしょうがない。でも人生はスポーツとは違うのだ。人生という舞台で制限時間内にゴールを決めるのは、素人がワールドカップの決勝でPKを蹴る緊張にも勝ると思う。
かくいう僕も、かつてはそういう制限時間の中で戦ってきたので、砂時計をポケットに入れながら日々を過ごすことがどれほど精神を消耗させるかは実感としてよくわかる。一日を無駄にしないように生きようとか、全力で努力しようとか、そういう標語コンクールみたいなフレーズが監視カメラの視点で僕を見つめ、ちょっとでも怠けたりダラダラすると、決まって罪悪感に苛まれた。
なにしろこれまで散々、「時間までに」「時間どおりに」「時間がきたら」などと時間を管理することの重要性を叩き込まれてきたわけだから、与えられた期限内に結果が出ないとものすごく焦る。けれども時間というのは、あくまでも現実世界の概念であって、スポーツにルールがあるのと同じように、みんなで共通し合えるように設定した「方便」に過ぎない。
映画『アメリ』をひさびさに観ていてこの言葉に出会ったのだけど、なんだか禅にも通じる表現だなと思った。禅の世界では、時間は過去から未来へとすんなり流れているものではない。われわれは今という瞬間にしか生きられないのだから、本来であれば瞬間と瞬間の集まりでしかない。その無数の瞬間を並べ替えたり経歴したとき、はじめて時間が「流れる」のだ。
言い換えれば「人間は一瞬で歳をとる」ともいえる。毎年誕生日に自動的に一つ歳をとるのではなく、何か強い衝動や、出来事が身に起きたときにはじめて人間は成長するのかもしれない。それを悟りや気づきと呼ぶのだろうけど、時には5歳や10歳ぶんぐらいの成長を一瞬のうちにしてしまうということもある。そう考えると、ますます時間という概念なんて単なる妄想じゃないかという気がしてくる。僕らはいつか来る未来のためじゃなく、今の一瞬一瞬を生きている。時間が無限に流れてくる錯覚に陥っていると、ついそのことを忘れてしまう。