Tomori NagamotoのLife Lessons lesson.40

(2013年9月20日記事)


病室のベッドの上に、七色のニット帽をかぶった女の子が、家族に見守られながら横たわっていた。どうやら末期の病のようだった。お母さんはディズニーやらジブリやらのDVDを持ってきてどれか一つ選ぶように言った。女の子はまるで新芽が雪をおしのけるようにゆっくり腕を上げ、しかし迷いもせず、真っすぐに一枚を指差した。その先にあったのは『となりのトトロ』であった。

これはTVで見たひとつのエピソードに過ぎないが、嬉しそうな女の子と、その家族の表情がしばらく頭から離れなかった。きっと世界のあちこちで同じようにジブリの作品が愛されているのだろう。
宮崎駿に向けられる質問には、いつも「一体どこから、こんなに世界で愛される作品のアイデアが生まれてくるのですか?」というのが入ってくる。一体どこからアイデアが湧き出て、どういう風に形にしていくのか、その創造の源を知りたい。しかし正面きってそんなことを尋ねても、はい秘密はこれですなんて答えがあろうはずもない。そうして迎えた引退会見の日、一時間にも及ぶ会見の中で、宮崎「監督」が何気なく放った言葉を聞いて、僕はストンと落ちた。
「僕が発信しているのではなく、僕はいっぱい受け取っているのだと思います」
発信というと、特にゼロから何かを生み出すことを指してしばしば創造という言葉が用いられるが、ご承知の通り、美味い料理をつくるにも醤油や味噌、塩やオイルそれから食材が当然要るわけで、それらすべてをゼロから創り出すことをなんて不可能である。宮崎駿もまた、一からアニメ道具やセットを作っているわけではない。では何をしているのかといえば、一流の料理人がそうであるように、あらゆる食材を吟味し、塩であれば世界中の塩を知り尽くし、それを料理に合わせて引き出すことで、これまでに無かった味をつくりだす、それの映画バージョンをやってきたわけである。
創造力とはつまり、記憶のライブラリーにしまわれた膨大な知識と見聞の中から、「これだ!」というものを引き出してくる能力、または才能である。それを支えるのは当然、あらゆる物事に対する興味、好奇心、これら知識や見聞のストックである。芸術家に子どもっぽい人が多いのは、人が素通りしてしまうような些細な物事にもじーっとルーペを当ててしまうような純真な心の持ち主が多いからかもしれない。われわれが料理であったりアートであったりの形で楽しんでいるのは、その子どものような純粋な探究心からこぼれ落ちた、副産物のようなものであるかもしれない。宮崎駿の生み出した作品が、世界中の子どものハートを掴んで離さないのも道理である。

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