のんびりアート Vol.57

自然の”ちから“

(2011年09月16日記事)


最近のアート界はゴチャゴチャと“何でもアリー”の状態だ。トロントでもアートカレッジが大学になり博士課程ができたと聞いた。その内に絵を描かない(描けない)、論文が上手な理論画家が出現するかもしれない。その兆しは数年前からあって、むやみに“言葉”が前面に出てきたのだ。キューレーター、コラボレーション、インスタレーションなどなど…。でも、これって本当に新しいのだろうか? 試しに、これらを“野菜畑”にあてはめてみよう…。

◆キューレーターは、どんな種類の野菜を植えようか計画し、それぞれの野菜の特徴、持ち味を調べ、意味のある魅力的な畑になるように苗を集めます。つまり農家の主人。

◆コラボレーションは、数人の人が一緒に作業をすること。畑も水やりとか雑草とりとか仕事がいっぱいあって一人では無理。特に収穫の時は家族総出で、猫の手も借りたいほど。

◆インスタレーションは、収穫間近の畑の全景。カボチャ、なす、赤や緑のペッパー達の彫刻美はすばらしいものだし、トマト、まがったキュウリ、スイカの造形美もすごい。葉菜のホウレン草、ラピニ、レタス類もきれいだなぁ。畑は超豪華な美術館だ。

…そんなふうに考えると、新しい流行語のように使われている美術語(?)も、なんら特別でないのがわかります。つまり、キューレーターもコラボレーションもインスタレーションも、その言葉は使われなかったにせよ、遠い昔から畑の中で実現されていた訳なのだ。畑はすごい! やっぱり自然はすごいなあ!!
と、自然の力に感激したあと、僕はハーバーフロントで「未来の都市」あるいは「都市の未来」みたいな曖昧な展を見た。全体におもしろくなかったが、一つだけ興味をひいた物があった。それは畳1枚分ぐらいの広さの平面上に作られた街の一角の模型だった。近くからよく見ると、アパートのビル、オフィスビル、ホテルやビルボード広告などがあり、通りの角にガソリンスタンドと車も見える。だが、街全体を覆っているのは不規則に無制限に繁殖した植物群なのだった。そして人間の姿は全く見えない…。そんな、ゴーストタウン化した街を、小型のプラモデル、ダンボールのカードボード、板、プラスチック、セロファン、乾燥した緑の藻のようなもの…など、など、いろんな材料を使って模型を仕上げていた。テーマは暗いのだけれど、その制作は、とても楽しんでやった雰囲気が伝わってくる。壁に貼ってあるタイトルを見ると“限りない欲望追求の果て…”みたいな事が書いてあり、ニューヨークの街の人間がいなくなり、道路上に草がボウボウと茂ってしまった映像を映画で見た事があったのを思い出した。
自然は強い。そして非情で優しい。そのどちらを感じるかは、その人の心次第のようだ。