のんびりアート Vol.59

カートゥーン(風刺画)

(2011年11月18日記事)


友人のBさんはOCADのクラスで教えていて、彼がその時々に使う教材のアート本をよく僕に見せてくれる。1冊の時もあれば、5~6冊と多い時もある。それらのアート本は雑誌の様に薄くなく、ある物は4~5cm、また、それよりも厚い本があったりして午後の数時間を費やしてしまう事もある。そうした本の中に、この前とてもおもしろく感じた1冊があった。それは、カートゥーン(風刺画)の流れを古い年代から近年までいっぱいの絵で説明した本だった。今では、すっかりイラストレーションの中のひとつの部門、様式みたいになっているカートゥーンだけれど、この本によるとカートゥーンという言葉の方が先に使われていた様子だ。そして僕は、1枚の古いドッキリする絵を見つけてしまった。白黒で表現されたそのカートゥーンには“ヨーロッパ・1916”とタイトルがついていて、絵を説明すると次の様になる。… 断崖の上、ロバの背にまたがる、頭から足までスッポリと黒布をかぶった人物。細い棒を持った右手が前に伸び、棒の先には人参がぶら下がっている。人参の近くに“ビクトリー”と小さく文字が書いてあり、ロバは人参を取ろうと口を開いて断崖のふちに向かって歩いて行く…。ウワーッ!!
これって、2011年、今のヨーロッパの混乱を絵にした様ではありませんか!!(こんなふうに、いいアイデアの風刺画は時代をこえて意味を発信し続けるのでした)。
友人だったKさんも長くOCADで教えていた。リタイア後しばらくして亡くなってしまったのだが、その時から、もう何年になるだろうか。彼は重い感じの抽象画を描いていた人で、その傍らイラストレーションも描き、僕達の仕事仲間でもあったのだ。Kさんはポーランド生まれだったので政治的センスのアイデアが上手で、シリアスな内容の文章でも、ユーモアのある諧謔的な表現で人気があった。それは一種の風刺画だった。その彼が生前口にしていた言葉を思い出す。丁度その頃、セルフォンなどの広告にかわいらしい小動物が登場した時期で、そうした単純な、意味のないかわいらしさに、人間として大切な批評精神が溶かされてしまうという危惧だった。彼の心配は当たった様な気がするが、どうだろうか。与えられる考えや言葉を、物を、便利さを、何の疑問もなく批評もなく、ただ受け入れるだけの事をしていないだろうか。そんな世相を反映するかの様に最近のイラストレーションはアイデアの冴えがない。世の中には沢山の矛盾や歪みが転がっていてつまずく事がある。僕はそんな時、自然の力をかりて深い所にある眼を大きく開き、常識を超えたカートゥーン的発想でユーモアに変える。そのためには沢山の選択肢を持たなければならない。勉強しなくちゃな。