のんびりアート Vol.60(最終回)

あっちがダメでも…

(2011年12月16日記事)


近くの森の中からスチュアートさんの、意味のわからない大きな声が聞こえたかと思うと姿が現れた。と、その姿を追って牛が1頭、また1頭と手品の様に次々と森から出て来る。そして、なんと合計16頭が彼の後ろに1列に従い、遠くにある畜舎を目指して歩いて行くではないか!!

そんな“絵”のような景色が僕の目の前で展開し、また、それが彼らの姿をこの目で見た最後になった…。なぜかというと、それから間もなくしてスチュアートさんと牛達はマニツーリン・アイルランドを離れ、もっと北の土地に行ってしまったからだ。それが去年の出来事で、彼は大量の荷(ゴミ)を置いていった。
その荷の片付けを手伝う事になった今年の夏のある日、僕はある人生の過去の断片をなぞった様な不思議な気分になったものだった。
ここ10数年、キャンプに行くたびに目にした伸び放題の頭髪とひげに囲まれた彼の顔は年齢より10才程老けて見えた。ある時期、電力なしの暮らしをしていた事もあるらしい。世間ぎらい、人間ぎらいの世捨て人になってしまったスチュアートさん、でもその分、自然が大きく彼を受け入れ、牛や野生の動物との交流を通して彼を見守っているのかもしれない。先日、ヨークビルのあるギャラリーに入った。中には2種類の違うスタイルの絵が20点程展示されていたので“2人展”と思い見ていた。でも、家の名前が同じだぞ。これは個展なのだと気づく。それにしても、片一方のグループに属する絵の線の弱さはどうしたものだろうか? と不思議に感じた。見終わって帰ろうとしたのだが、僕は思い切って質問してみた。「この違うスタイルは、何か目的があって描いたものなのですか?」… ギャラリーの人は一瞬ためらった様子だったが、はっきり答えてくれた。「アーティストが脳卒中にみまわれ、右手が使えなくなってしまったのですが、絵を断念する事がどうしても出来ず、左手に絵筆を持ち変え、練習に練習をくり返しての初めての展示がこれなのです」。僕は大きく深呼吸した。そして、同じ人間の右手と左手からでる“線”の不思議さに想いを巡らしたのだった。
もっと個人的な仕事がしたくて、グラフィック・デザイナーからイラストレーターにと僕が仕事変えをした頃(1980年)、広告代理店や雑誌のADとの打ち合わせに行き“この人、仕事内容をちゃんと理解しているのだろうか?”と思われている雰囲気を感じる時があったりした。でも平気の平左。言葉の問題は仕事の絵で越えられると思っていた。そして、それは本当になった。沢山の人が僕のイラストレーションを受け入れてくれたのだった。忙しいそんな中、僕は“アート”という言葉が好きでなく、ただただ“仕事”が大好きだったのだ。