サンドウィッチのなかみ (2013年5月3日記事)

Vol.43 90歳にして思う人間関係

1年前、実家の居間の壁に兄が描いた父の肖像画をかけた。父の顔といえば、仏壇の中にある写真しかない。父をもう少し日常の生活のなかに入れようという気持ちと兄の芸術的才能を観賞しようという気持ちがそうさせた。母も賛成して喜んだ。ところが最近になって異変が起きる。

母は6人兄弟の末っ子で父親に甘えて育った。【故郷】の歌を聞くと涙ぐみ、病気で亡くなった兄が教えた英語の歌を今でも口ずさむ。母にとって男性とは〈優しい人種〉だった。そんな母がある日、壁の肖像画をみて言った。「あれは私の父だ」「うっそォ!」。問題はあの肖像画が心から満面の笑みをたたえていることにある。おそらく父が孫を見ていたときの顔だろう。典型的な軍人で家族の誰にもあのような笑顔をみせたことはなかったから。その彼がやたら笑ったのが"あだ"になってしまった。兄も父の稀なるスマイルを写真でみて絵にしたくなったのだという。母は、「絶対私の父。私の旦那さんはあんな顔をしない」と断言。母の父親、つまり私の祖父は秩父の番場の町長さんをした人で、皮肉にもニコリとした写真はどこにもナシ。だが実生活では末娘に甘い親父だったようだ。結局兄の絵は〈母の父親〉ということに。

母がデイサービスに行く日は一応おめかしをして出かけさせる。どこから出してきたのかダイヤの指輪をはめ、しげしげと眺めて言った。「私の3番目の旦那さんに買ってもらった指輪」「…。3回結婚したの?」「ん?アハハハ」と自分がおかしいことを言っているのに気づく母。頑固でコチコチの父から妻への精一杯の愛情表現は指輪やネックレスだった。それなのに覚えていないとは。これって、老いからくるしっぺ返しなんだろうか2? 確かに父は優しい言葉をかけるような人ではなかったけれど、戦後母と苦労をしながら家庭を築き上げた。否定できない長い夫婦の歴史があるはず。父と見合い結婚をした母は娘時代に憧れていた男性と混同しているのだろうか。独身時代よりも家庭を守ってきた時間のほうが長いと思うのだが、90歳の頭に残るのは〈長かったから〉でも〈苦労したから〉でもないようだ。老いという現象が勝手にメモリーをauto delete していく。これは認知症とは違う。そしてsaveされ続けるのはいつも自分を優しく包み込んでくれた人たち。とすると、私が90歳でまだ生きているとしたら誰のことを思うだろうか。あるいは、いま私の周りの人たちが90歳になったら、私のことを思い出すだろうか、それとも私はdelete組だろうか? 夫婦だからといって何時までも覚えていてもらえると思うのは大間違い(これを読んでいる貴方も家に帰ったら心をいれかえて、優しく家族と付き合ったほうが得かも)。

話を父に向けよう。そんなわけで母の夫の記憶は〔厳格な人〕に留まり、話もしなくなった。確かに厳しい父ではあったが、これでは寂しい。母の老いは老いとして受け止め、父があっての今の私、とひとり感謝する。思い返せば、父の母親は私が幼い頃認知症にかかり、病院で最後を迎える。それを悔やみ、父は自分を親不孝者と死ぬまで後悔していた。実家に貴重な一枚の写真がある。祖母が幼い私の手を引いている。全く記憶に無いのだが、父が撮ったに違いないその写真に胸が熱くなる。今度、祖母の生家に行ってみようと考え始めている自分。これって何なのだろう。

トロントに戻って数日後、実家に電話を入れると、母とは半年ほど距離を置いていた兄嫁の声が飛び込んだ。「私、お義母さんにいわれたんです。『前のお嫁さんはひどかったけど、貴女が来てくれて本当によかった』って」。私は太平洋上でも聞こえたんじゃないかと思うぐらい大声で笑いころげた(ボケてないとしたら相当頭いいね、お母さん)。


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