サンドウィッチのなかみ (2014年3月7日記事)

Vol.52 ある入院

タクシーの遠乗りより電車を乗り継ぎして行く方が景色を楽しめる。晴れていれば富士山も見える。
一月のある日、兄と私は車椅子の母をおして家から2時間先の青梅へ向かった。改札で声をかければ駅員さんが車椅子用のスロープを出してくれるし、降車駅でも待機して待っていてくれるから楽だ。駅員さんに母が車椅子から手を合わせホームに降りる。そして終の住処になるかもしれない病院に入院した。半年待ってやっと連絡がきた病院。もうショートステイではない。去年の夏見学に行った施設のなかでここを一番に選んだ理由は病院らしくないことだ。コンサートホール、レストラン、趣味の広場、緑の公園など普通の文化的生活環境がととのっている。 かつ て多趣味だった母が楽しく余生を過ごせる可能性を信じて申し込みをしておいた。

医者別の通院にも終止符をうつ。患者が集うフロアにはいつも看護婦さんや介護スタッフが甲斐甲斐しく動き回っている。ここがシーンとしていることはない。それがいい。いままで特別養護老人ホームのショートステイ用の書類しか書いたことがなかった私は去年この病院の申込書をみて驚いた。 問われる内容は母の生家、家族構成に始まり、身長体重、健康、生活全域にわたる。子がテストされるときだ。たとえば趣 味。”読書と音楽“のように漠然と書けば、母が何の変哲もない老人として扱われるような気がする。子として不合格と思われたくない。だから、音楽と書く代わりに演歌でも民謡でもないクラシックや好きな歌の題名を書く。かつて好きだったテレビ番組『相棒』の主役、水谷豊の名前もついでに入れておく。

【ご本人が一番輝いていた時期について】
というのがある(輝いていた時期ね〜。ふーむ)。娘時代にはイタリア歌曲を歌ってクラスの最高点をもらったとか、バレーボールの選手だったとか、百人一首は上の句を言われれば、今でも下の句がすべて出るとか、亡くなった彼女の兄が教えた英語の賛美歌を意味は解らないでも完全に歌えるとか、40〜70代では日本画に没頭し、都知事賞を受賞。染色に夢中になり、次女の振り袖を染めて仕立て上げたとか、80歳でピアノ曲『エリーゼのために』を自己流で弾けるようになったこと等々、この時とばかり細々と書き込んだ。本人の記憶が失せていても施設のスタッフの方達がその記述をもとに会話を盛り上げてくれればこれ以上嬉しいことはない。ある意味で申込書の記入は親を施設へ託す家族の思いでもあり、また施設のスタッフにとって必要な対話のツールなのではなかろうか。

案の定、入院後初めて私が訪問したとき事務の方が『百人一首』の本を用意して母と遊んでくれたらしく「みんな覚えていらっしゃるんですね」と感心された。また別の日は「ピアノがわかる者と一緒にピアノで遊んでいらっしゃいました」と。どちらも母が本気で集中するときだ。

先日は「私、太った水谷豊です」と男性スタッフが出てきた。『相棒』の会話をしていて母がそう名付けたらしい。母の精密検査の結果は思ったほど良くなかった。癌やアルツハイマー系の認知症はないが左右の肺がかなりやられている。一年前に飲み始めた薬は菌を殺しきれずにいた。また心臓の隣にあった大動脈瘤は肥大していた。これは爆弾を抱えているに等しい。主治医の話を看護婦長、リハビリの先生、介護スタッフが家族と同時に聞く。これだ。ここで見守られていれば母の大動脈瘤の爆発も遅らせられるかも。いつか母が家でベッドから滑り落ちたときは私では力が足りず、誰かにきてもらってベッドに上げた。やはり素人介護は無理だと悟った。本人には胸や肺の痛みはないらしく幸い食欲はいまも旺盛。それを頼りにあと5年は生きていて欲しい。来週は好物のみたらし団子にしよう。


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