サンドウィッチのなかみ (2014年9月5日記事)

Vol.58 臨機応変

綿密に計画した屋久島の撮影旅行が始まろうとしていた。幸い母の病状も安定し食欲は順調に戻っていたから。考えてみれば、団塊族も足腰が弱くなり、そのうちと思っている矢先にもうどこへも出かけられなくなってくる。親を見送るまでの数年間が正念場なのかもしれない。だから真面目にジムにも通い、買い出しに行くのにも新品のトレッキングシューズで足慣らしをしてみたりもする。

1か月に35日雨が降ると言われるほど雨の多い屋久島。雨具も完璧なものを購入した。さてと。
「今夜未明台風7号が沖縄に上陸します」。(え〜っ!)テレビを前に、羽田― 鹿児島間の格安航空券を見つめる私。聞けば沖縄便のみ欠航、他は正常運航。キャンセルするとお金は戻らない。もう鹿児島まで飛ぶしかない。台風はジワジワと屋久島に接近していた。空港はただ蒸し暑く、台風の気配はない。これなら屋久島へも渡れそう。だが待てよ、渡っても島から出られなくなったら帰りの航空券が無駄になる。すでに島のガイドさんからはメールで中止連絡も入っていた。急遽、念願の屋久島を放棄し、行き当たりバッタリの鹿児島一人旅を開始する。

さあ三泊四日をどう有効に過ごすか。友達からは「台風大丈夫ですか?」と心配のメールが何通も入った。一人でも一人ぼっちにさせないスマホで私は繋がっていた。目指すは40年前に行った指宿温泉。開聞岳を眺めて温泉に浸かった翌日、台風は屋久島をアタックし始めた。指宿の海岸も荒れてきた。しかしバスが 運行している限り私の旅は続く。知覧では停車場から知覧特攻平和会館入口までの徒歩5分、あの完璧な雨具がご登場。数人のマイカー族がすでにきていた。

戦時中の攻隊員の写真と手紙のディスプレーには生と死の狭間におかれた者の魂が今も宿る。昭和55年に引き上げられた旧海軍の「ゼロ」戦闘機の無残な姿は人命でなく飛行距離と軽量な機体を優先させるため資材をケチった大日本帝国の素顔だった。全特攻隊の約4割が知覧飛行場から飛び立ち海に散った。今日本を騒がせている安倍首相の集団的自衛権が怪しい影を落とす。自衛隊員は兵隊になるのか? ガラス越しに外をみればゴーゴーという轟音とともに大量の水が落下して建物を包囲する。特攻隊の霊が私を守ったのか。

歩けそうな雨足になったころ日本一の巨樹、蒲生八幡神社の大楠に会うために電車で帖佐駅へ向かう。樹齢千六百年の神々しいこの特別天然記念物を屋久島に行けなかった分私はじっくりと拝ませてもらった。参拝者もいない。全部私が独り占め!

駅では電車はすでに運休。タクシーで加治木駅近くの温泉宿に駆け込む。夕食は近所のパチンコ屋の食堂で食券を買って食べた。翌朝地元のパンフに出ていた龍門寺坂へ向かう。テレビドラマのロケに使われたそうだが、晴れていればおそらく観光客でごった返すところだろう。台風を横目に「歴史の道百選」の石畳を丁寧に登る。むき出しになった木の根っこの上を雨水がミニチュアの滝をつくって降りていく。桜島の粉塵も飛んでこない。中国の黄砂もない。森が一番息づく、最もエコなこの瞬間。自然と秘密を分かち合えた至福のとき、というのは大げさだろうか。

タクシーさんと賭けた。飛行機が欠航でも鹿児島空港に戻れば高速バスが運行している、と。負けたのはあちら。バスは私一人をのせ、一路霧島へ。懐かしい硫黄温泉に入り、最後の朝に期待する。台風は南九州を通過。霧が晴れて緑の山々がおいでおいでをしている。私は普通の人の倍かけて白鳥山をゆっくり歩いた。そして夕方には予定通り機上の人となり、九州を後にする。屋久島でなくて良かったのだ。臨機応変の旅も結構充実するものだ。悪天候だから出会えた本当の緑と特攻隊。これは一生ものダナ。きっと。


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