サンドウィッチのなかみ (2015年1月9日記事)

Vol.62 クリスマスの形

家族向きのクリスマス映画が流れていた。サンタが魔法で北極と都会を簡単に往復する話だ。魔法がかからなかったからか、ここ数年間、冬を日本の母のもとで過ごしていたので私はトロントのクリスマスに反応が遅い(12月後半にようやくツリーを飾る)。 去年は久々に家族3人でクリスマスを祝うことになった。

モントリオールの娘からは12月21日にトロントに来ると連絡が入った。(早く来て手伝ってくれない?)と言いたいのを私はぐっとこらえる。26日には日本から友達が来るのでモントリオールに戻るという。(クリスマスツリーは誰が片付けるの?)と言いたいのもぐっと押さえる。私はまた正月に母のところへ行くのでただでさえ忙しい師走にツリー対策に悩む。なければ寂しがるだろうし。

娘が大学を卒業するまで私達はツリー・ファームへ木を切りに行っていた。切りたてのもみの木を車の屋根に載せて雪道を走り帰る。そのウキウキした感じが何とも幸せだった。親子の時間が少なくなると、本物はプラスチック製へと変化して行った。しかし、これが結構手間がかかるということに後で気がついた。

ひな人形セットと一緒で、出し入れに時間がかかるのだ。街に出れば安価なカット済みのツリーが店頭にあふれている。枯れた木は終わればリサイクルの日に外に出しておくと市が持って行ってくれる。そして木はまた土にかえる。人工の木は枝を一本ずつ取り外し、長さに区分けし、束ねて大きな箱にしまう。筋金入りの枝はボリュームがあり、いつかは処分に困るだろう(本物に戻るのも悪くないな)。

クリスマスプレゼントもツリーともに形を変えた。急激な変化は母へのプレゼント。定番だったアクセサリー、衣服、画材はもうお呼びでない。去年は縫いぐるみの鳥5羽が大受けした。お腹を押すとピーピー、キューキュー、一応その鳥の種類にそったような鳴き声を出す。母は幾度も押して鳴かせ、頬ずりした。実家の台所から見える小鳥達を眺めながら食事をしていた彼女を思い出す。片目しか視力がないのに、私よりも目ざとく小さな動物を見つける不思議な母の左目。

夫婦の心が通じ合っているからなのか、私が諦められているからなのか、 旦那の方は文句無しでどんなものも喜んでくれるが、娘は好き嫌いがはっきりしている。当たり外れの多い昨今、結局言わずにおこうと思っていた言葉をうっかり発してしまった。「クリスマスに何が欲しい?」コンピューターのアップグレードがどうのこうの、と言う返事が返ってきた。自分のコンピューターが心配なのに娘の分までお世話できるかどうか怪しい。

ショッピング中、ハタとひらめいた私。そうだ、あのプリペイド式VISAをプレゼントしよう。足りない分は自分の給料でなんとかするだろう。一番限度額のふさわしいのを手にし、歯ブラシと一緒にチェックアウトする。この可愛いカードを紙でくるみ、大きめの箱に入れて、リボンをかけて、と私の夢は広がる。変わらないのは細かい必需品の入った彼女のクリスマス・ストッキング。それを隠す。毎年娘は童心に返って探すのを結構楽しんでいる。店を出ると車はもみの木に向かって走っていた。

ターキーを焼くのはいつも旦那の役目。「今年は父親の料理の手順をビデオに撮って欲しい」と娘に頼まれた。そうだ、彼も高齢でいつまでターキーの調理法を覚えていられるかわからない。内臓なども使って本格的にやるので、私は気持ち悪くて見ていられないが、それでも娘にとってはいい記録になることだろう。いつか自分でもやる気なのだろうか?

私達のクリスマスはこうして年ごとに形を変えて来たが、一番のプレゼントは3人が一同に会せるというお金で買えない宝物だ。ツリーや物は変化してもお互いの今の気持ちを大事にしよう、と決意も新たに日本で迎える新年に備える。2015年はどんな年になるだろう。


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