サンドウィッチのなかみ (2015年2月6日記事)

Vol.63 みんな出てコイコイコイ

師走も半ば、東京の兄から連絡が入った。母が老衰期に入ったと医者に告げられたという。焦った。今年3月に予定している拙作ドキュメンタリー映画『長面きえた故郷』のトロント初上映を前に、私は11月から仲間達と会場やサポート体勢の取り組みに余念がなかった。12月いっぱいは印刷物の仕上げに集中していた。だから予定を2週間繰り上げて日本に出発する事態にドギマギした。

スカイプで母の病院に電話すると「すこしお元気になられました」という返事。ホッ。食が減り、よく眠るものだから一日前から神経関係の薬を減らして様子を見たという。するとまたいつもの「おねえさん、おねえさん!」が出てきた。母は、別に用もないのに寂しくなるとスタッフをそう呼んで注意をひく。声を発するということは元気がでてきたしるしと、私は電話口で安堵した。というわけでひと通り上映会の準備を終え、あとは仲間に頼んで予定通りにトロントを出発出来たのだった。

着いた日本は大晦日。今回は御節料理も注文していないし、母の病院で家族と正月を祝う段取りもしていなかった。羽田空港から電車を乗り継ぎ、いつもの駅前スーパーで汁付きの年越し蕎麦一人前と黒豆、栗きんとんの小パッケージ、そして母の好きな里芋一袋を買ってタクシーで家に向かう。門の木戸を開けたとたんチャレンジその1に直面。鍵が壊れ外から開けられても内側からかからない。そばにあった箱や自転車を前に置いて即席防犯対策をする。木造の家は、湿気で冷え切っていた。兄が取り込んでくれた郵便物が玄関先に足場もないほど置いてある。その横には2リットル入の水ボトルが8本。裏で水道管が破損したため水道料金が普段の10倍以上にもなっていたので、兄が水道の元線を閉め、一時凌ぎに炊事用に買い置きしてくれたボトルだ。水洗は井戸水があるのでバケツに汲み置きする。ボトルの水でお茶を沸かし、蕎麦を食べ、母に持っていく里芋だけ煮終わると、NHKでは《紅白歌合戦》が終わろうとしていた。そして《ゆく年くる年》の映像とともに新年に突入。元旦の朝、太陽光パネルが発電していないのに気付く。モニター表示は東電のエラーになっている。《売電》への東電の逆襲か(余剰電力を東電に売るしくみ)。

兄夫婦と病院で合流。心配していた入れ歯もちゃんとはめて母はランチを取っていた。流動食はソフト食にかわり、私が煮た芋も少し食べてくれた。3か月のブランクのせいか、私を見るなり母は、「京子ちゃん?」と言った。89歳の自分の従妹と勘違いしている。そんなにクタビレタ顔を私はしていたのだろうか?「牧子ヨ!」。そのあとはずっと牧子になったが。自分宛の年賀状を見せるといとも不思議なことのように宛名をしげしげと眺める母。

兄夫婦が帰ったあと、二人だけの百人一首が始まる。上の句を読むと、母が下の句を空でいう。すこし低下したが、95点ぐらいはあげてもいい。そして私が歌を歌うと、母は「知らない」の連続。やっと母の唇が動いたのが「ポンポコポンのポン」。『証城寺のたぬきばやし』だ。落ちた。でも一生懸命二人で歌った。涙が出そうなのを必死にこらえたせいか私の声がゆがんで音程が狂う。

夕食の介助後、故障した右耳の補聴器を預かって病院を出る。雪がちらつきはじめ私は駅前の温泉に寄り身体を温めた。水道の修理も電気や鍵の修理も役所、銀行、郵便局めぐりも年明けはみな後回し。ボトルが続く限り温泉やジムのシャワーも悪くない。焦らず一つ一つこなせばいい。母のしゃがれた歌声、「みんな出てコイコイコイ」が耳に響く。

そういえば、トロントの新聞に出ていた私の新年のホロスコープはこんなだった。《2015年はやることが増え責任が重くなる。でも休養をとれば乗り切れる》。3月の上映会には戻れるかなぁ。


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