サンドウィッチのなかみ (2015年7月3日記事)

Vol.68 入歯と発表会

木戸の鍵を開け、庭に入る。雑草と木々が鬱蒼と茂り、あと一か月放っておいたら完全に建物が包み込こまれてしまいそうな実家の庭。止まるところを知らない自然への戦慄と挑戦の入り交じった気持ちを覚え、家に上がった。羽田空港からの帰り道にスーパーで買ってきた切ったスイカと特製”みたらし団子“4本入りを半分食べ一息つく。日本のスイカはなぜか必ず甘い。東京の生活がまた始まる。

「お帰りなさい。お母様にもお伝えしておきます」受話器の向こうの看護師長さんの声は弾んでいた。大晦日に来たときは高熱を出して危なかったが、完全看護であれから安定している母。静かな部屋に移ったというのも、8月に93歳になる母と私達家族への病院側の心遣いだろうか。

翌朝パンがないので前夜のみたらし団子3本目とスイカとコーヒーで朝食を済ませ、宅配で荷物を受け取ったあと病院へ向かった。窓際のベッドに横たわる母の顔の前で「来たよ」とVサインをみせる。疲れていたようだが目は開いていた。開口一番「あっ、来たの? 何か食べさせて」抱き上げられてリクライニング式の車椅子に移動する。入歯はきちんと入っていた。この病院では入歯が合わなくなると歯医者を呼んできて削ってくれる。一時痛がって外していた時期があったが、それに慣れてしまっては困ると私は気にしていた。外している期間が長いと二度と入らなくなる。入歯がないと顔の形が変わるばかりでなく、食べ物を噛み砕くところまで行かなくとも、押しつぶすことさえできなくなり、食べる楽しみが失われてしまうからだ。

一口大に切った大好物のスイカは、容器の底に保冷材を入れておいたのでまだ冷たい。嬉しそうに食べる母。八分の一にちぎった4本目のみたらし団子も3玉分食べた。久々の醤油のたれが美味しかったのだろう。おやつの後、歌の本を借りて私が適当に選んでさわりを歌う。いつもの「つまんない」「知らない」「哀しい」と母の反応。日本の唱歌には哀しい歌詞が多い。しかし哀しいと思うことは、歌が自分の有るべき気持ちとマッチしていないと判断しうる状態に母がいるということだ。前回合格した”ポンポコポン“こと『証城寺の狸ばやし』もなぜか今回はアンマッチングでお気にめさなかった。

『知床旅情』を歌いだすと、「いい歌だね」と嬉しそうに言う。一番の歌詞を何度か歌っているうちに母も思い出したのか、私の唇を見ながら一緒に歌いだした。メロディーになっていないがそれでもしゃがれ声で一生懸命に歌う。この歌には私も10代の頃の思い出がある。父は北海道旅行に兄を連れて行ったが母と娘二人はいつも家にいた。それで母は妹と私を連れ、道内の団体バス旅行にふみきった。情緒不安定の当時の私は一人ふらふらと団体から離れ、バスの出発時間に30分も遅れて戻って来た。運転手も団体客も不快をあらわにし母はスミマセン、スミマセンと平謝りに謝っていた。『知床旅情』を歌うたびに私はそれを思い出す。

森繁久彌(ひさや)作詞作曲が気に入ったのか、母はもっと歌いたがった。二人だけではもったいないので私は忙しくなさそうなスタッフに声をかけ「聞いてくれませんか?」と頼んだ。それをきっかけに次々と私達の合唱(?)を聞きにテーブルに来た。看護師長さんも、整形の先生も、植木を運ぶスタッフも。母は私の顔をじ〜っと見つめ、飽きずに歌った。インスタントの発表会に拍手が飛ぶ。

『知床旅情』の二番は残念ながら歌集にでていなかったので、スマートフォンで検索してみるも読めない。次回は私がしっかり覚えて、また母に歌ってもらおう。歌を歌うことは呼吸にいいと医者も言う。肺が大分やられている母もいずれ呼吸困難になっていくのだろうが、歌える歌をみつけて一緒に歌い続けていきたい。そう、入歯も歌に必要だったのだ、と今気が付いた。


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