サンドウィッチのなかみ (2015年8月7日記事)

Vol.69 そして父になる

 こんな題の映画が2年前に出た。でも今日はその話ではない。ただ父という存在を感じるときが最近ある。初夏に東京の実家に戻って庭から家が隠れるほど茂っているのを見たときがそれだ。

父の庭仕事姿は私の脳裏に焼き付いている。時間の浪費と冷ややかに眺めていた私。父はシルバー人材に手伝いに来てもらって庭の手入れをするのが日課だった。夏の庭は暑く下着のシャツ一枚になって家に駆け込み「アッチチ、アッチチ」といいながらクーラーの前で汗を拭いていた。その横で母が冷風にブルブルと震えていた。

実家の木戸をくぐり庭に入ったあの瞬間、私は自然に対する驚異と同時に挑戦を感じ取った。父が亡くなってからは何度か植木屋さんに来てもらっていたが、今年の春は雨と日照り続きで草木が異常に繁殖し、職人の人材不足という事態が発生。毎月メンテをしていれば大事にならないのだが、実家のように人が居ない間は職人は来ない。空き家とわかる庭なのだ。以前来てもらった植木屋さんにゼロからやってもらうのもなにか気が引ける。みれば剪定鋏、刈り込み鋏、木鋏、芝刈り機、電動のこぎり、ヘッジトリマーとなんでも家に揃っているではないか。

剪定の知識もないまま、手の届く範囲でチョキチョキ始めた私。これが以外に面白い。屋根までのびて空高く無意味に咲いたバラ、5メートルも地面を這ってしまった藤、サルスベリの枝に乗り移り自分の木と成り済ました野バラ、誰かが無造作に捨てた種のせいで窓の眺めを遮るまでに成長してしまった柿の木、膝上までのびた芝生等々、きりがない。剪定に関する本まで買って来たが、家の古い本棚にはすでに似たようなのが数冊、日の目を見るのを待っていた。

脚立は危ないから上までは乗らない。刈り込み鋏が長くのびるので頭上1m 先まで届く。最悪なのは蚊の襲撃だ。肌をカバーし、服の上から虫除けのスプレーをひやりと感じるまで吹きかけ、缶入りの蚊取り線香を腰からぶらさげて出陣する。雨天は比較的虫が少なく電気工具を使う以外は戦略として実践好機だ。 庭仕事をしていると無我の境地になり没頭する。時間の浪費でない精神衛生上の効果がある。父が庭に出ている姿と自分が同じことをしている姿が思い出映像のなかで重なる。あんなに親子関係がギクシャクしていたのに、道具を持って庭に出る私は父になっている。

灼熱の東京。今日は省エネの新しいクーラーを取り付けてもらった。今父がここにいたら二人でどんな会話をするだろうか。


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