サンドウィッチのなかみ (2015年12月4日記事)

Vol.73 奉仕

20余年もトロントの日系シニアホームでお茶の時間のボランティアリーダーをしている友人がいる。その関係で何年か前からクリスマス時期になると、その施設で仲間とコンサートをするようになった。楽器や歌が得意な人達を募り、プログラムの概要が決まる。分担で私は演出と司会を担当するのだが、このイベントのあり方に新たに考えさせられている。

出演者はプロも少数いるが、殆どがアマチュアの人達だ。みんな時間を割いてその日のために練習をしている。あまり発表の場のないアマチュアミュージシャンにとって、シニアホームは特技をご披露するいい場所であり、プラスの面が多い。

しかし観客あってのコンサート、出席するシニアホームのご老人方とはどう向き合ったらよいのだろうか。彼らは何もわからないから自己満足コンサートでいいのだ、という考え方が一部にあり衝撃を受けた。そう取られても仕方がない面がないとは言えない。だがそんな考え方だと、シニアのためのエンターテインメントと銘打つのは一方的かもしれない。イベント関係者が楽しむのはいいことだが、私達にとって奉仕とは一体何なのか? 私は日本で自分の母の急激な老化現象、施設での生活を目の当たりに見ているせいか、他の人より敏感になっているのかもしれない。

母は若い頃イタリアの歌曲を人前で歌うほど歌好きだった。80代でまだ丈夫な頃は新宿の歌声喫茶にも連れて行ったことがある。それが次第にどの歌も「知らない、聞いたことが無い」になり、数ある歌の中でやっと唇を動かしてくれたのが童謡『証城寺の狸囃子』の“ポンポコポンのポン”だった。埋もれていた母のメモリーが蘇った感動の瞬間だった。

ご老人といってもみなボケて何もわからない訳ではない。彼らが楽しんでいるかどうかを決めるのは、イベントの主催者側ではなく客席に座っている側だ。だから私達にできることは観客でいてくれる彼らに対し最善をつくし、聞く人の心に届いて欲しいと願いをこめて歌い、奏でることではないだろうか。その“情熱”が私達の側にあれば、知らない曲、忘れられた歌のなかにも彼らの心に響く音や旋律が見つかるかもしれない。そんな音楽の喜びをご老人と交わす瞬間の可能性に賭けたい。せっかくシニアホームという場所でコンサートをするのだから司会の私の言葉も含め、得意の歌や演奏で心を通わせるという気持ちを大切にしたいものだ。

あの友人のように20年も続けることはできないだろうけれど、我々1人1人がこのイベントで目を輝かせてくれるご老人に1人でも多く出会えれば、私達のイベントが奉仕に繋がるかもしれない。


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