「和」の精神を世界へ
田中 茂穂
明治神宮武道場至誠館名誉館長(2012年9月21日記事)

 去る9月1日・2日、トロント日系文化会館にて「小幡師範合気道指導40周年記念研鑽会」と題した合気道セミナーが開催された。日本や英国、シンガポールからの参加者を含む国際イベントとなったこのセミナーで指導するために来加した、田中茂穂師範にお話を伺った

 わずかに秋の匂いのする青空が広がった日曜日の朝、トロント日系文化会館小林ホールに雄々しい道着姿の合気道家が一堂に介した。しかし、その雰囲気はとても和やかだ。小幡宰師範の専修大学時代の合気道の師、田中茂穂師範を特別ゲストとして迎えた研鑽会、田中師範は過去の節目々々にもこの地を訪れているが、今回、JCCC合気会が小幡師範のもとに40周年を迎えるにあたり再び渡加。小幡師範が大学卒業後、青雲の志を抱いてカナダへ渡ったと聞いたときは驚いたというが、「40周年を迎えた今、立派なことを成し遂げた男だという認識をあらためて強く持ちました」と目を細める。一方、「合気道があるからこそ今の自分がある」と語る小幡師範は、「今までもこれからもずっと私の師は田中師範です」と話す。

田中 茂穂

 合気道の最高位である九段位を保持する田中師範。幼少の頃から武道好きで、柔道、空手、剣道の修行を積んだ。しかし、もっと素晴らしい武道があるはずだと考えていたという。そんなある日、合気道開祖の植芝盛平氏の演武を見る機会を得る。「これこそ長年探し求めていた武道だ! と、もう矢も盾もたまらず植芝先生の門を叩き、入門したんです。そして、生涯(合気道を)続けていくという心も固めました」

 当時、戦後日本は「強い・弱い」「勝つ・負ける」が主眼の時代だった。合気道はそれとまったく相反して、勝敗を決める試合がない。自他が心を合わせて、互いに心と体を向上させていく武道だ。仕手(投げ)と受けに分かれ、まるで円を描くようなしなやかに流れる動きが特徴。力技ではないので、体の大きさや性別、年齢などもあまり関係ない。しかし、一見簡単そうに見える動作が、その実、緻密に考え抜かれているのだ。

 海外での演武・指導も積極的に行なっている田中師範が、初めて海外に渡ったのは1964年のこと。東京大学合気道部の学生らと共に、米国の諸大学を演武してまわった。最初に訪れたアリゾナ大学では、「変なことをやりにきている日本人がいるから潰してやる」という噂が流れた。さすがに緊張したが、蓋を開けてみれば、演武が終わった途端に拍手喝采。拍手が鳴り止まず、何回もステージに出ては礼をして下がった。

 「今回もやりますが、北米の方たちは日本刀を使った演武をあまり見たことがなかったので、感銘を受けてくれたようです」と、当時を振り返る田中師範。一方、現地の高齢の日系人たちは、敗戦後初めて日本人らしい日本人を見たと涙を流して喜んでくれたという。

 「戦後は自己否定の教育が多かった。私は、逆に日本民族、日本文化は誇りに思うべき」と語る田中師範は、海外での活動の際には親善、友好を心がけているという。嘘をつかない、約束を守る、それを何十年も続けているうちに諸外国との厚い信頼関係が育っていった。彼が合気道を通して一番伝えたいのは日本の武士道精神。「名を惜しむ、恥を知る、思いやりがある、そういうことはいつの世にも、また国境、人種を超えて通用するものだと思っています」そして、開祖から学んだ合気道の「和」の精神を伝えていきたいと、穏やかだが力ある声で語る。

 「合気道は天から与えられた使命のように感じています。もう84歳なんですが、心身が健全なるうちは努力を続けないといかん、とそう考えています」。

   

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Biography

たなか しげほ

東京都出身。武道家。明治神宮武道場至誠館名誉館長。小学生の頃から柔道、空手、剣道を修行。戦後、合気道開祖の植芝盛平翁および二代目植芝吉祥丸二代目道主のもとで合気道を学ぶ。1953年、東京大学に合気道部を創設、専修大学、諸大学でも師範をつとめる。73年、明治神宮武道場至誠館設立に尽力し同武道場の師範となる。93年、体育功労者文部大臣表彰受賞、秋の叙勲で木杯賜与。99年、外務大臣表彰受賞。