江戸時代の知恵を現代へ
九代 玉屋庄兵衛
尾陽木偶師(2011年07月01日記事)

現代テクノロジーの原点となった発想力と、ものづくりへの飽くなき追求を今に伝えるからくり人形師

カナダ文明博物館で10月10日まで開催されている特別展「JAPAN: Tradition. Innovation」。この展示は、日本の最先端の技術・デザインと、江戸時代の芸術や革新的なものづくりを比べることで、現代日本の産業がどのように形づくられてきたかを探るもの。今回は、その特別展のオープニングに出席するために来加した、尾陽木偶師(びようでぐし)の玉屋庄兵衛さんにお話を伺った。

尾陽木偶師とは、からくり人形を作る人のこと。有名な作品のひとつ、お茶を持ってすり足で歩く人形『茶運び人形』を知っている人も多いのではないだろうか。からくり人形自体の歴史は江戸時代よりももっと古いが、長く平和が続いた江戸時代にその技術が花開いた。「江戸時代の知恵の塊を、カナダの人にも関心を持って観てもらえたらいいですね」と語る玉屋さん。玉屋さんと一緒に来加、インタビューにも同席してくれた溝口正成さんはこう付け加える。「からくり(人形)はまさにロボットの源流。特に、今回持ってきた『弓曳(ゆみひき)童子』っていう人形の元は田中久重さんという人が作ったんですが、彼は東芝の創始者。まさに、からくりは(日本の現代テクノロジーの)原点ですね」 溝口さんはからくり展示館を持つ愛知県犬山市の犬山祭保存事務局の局長を務めるなど、からくり人形に造詣が深い。
溝口さん「犬山には『犬山祭』っていう祭りがあって、13輌の山車全部にからくりが付いた日本最大のからくり祭りです。現在、愛知県だけで現役の山車は400輌くらいありますが約半数にからくり人形が付いています。『山車からくり』と呼びますが、それだけ、からくり人形が盛んな土地なんです。

玉屋さんの家は今から270年ぐらい前に名古屋に来られて、その前は、京都辺りに居られたみたいです。名古屋で当時、一番盛んな祭りは徳川家康の命日にやっていた『名古屋東照宮祭』。その祭りのために、京都のからくり師である玉屋さんの初代に複雑なからくりを注文したんです。ところが、複雑すぎて、毎年京都から玉屋さんが行かないと、動かない…、ということで、(玉屋さんは)そのまま名古屋に居ついて、住んでいた場所が当時の玉屋町、それから玉屋庄兵衛初代を名乗ったそうです」
玉屋さん「からくりは、『舞台からくり』といって、歌舞伎とか、文楽とかのように本来は舞台でやるんです。大阪の道頓堀に1650年代くらいから舞台興行として栄えていたと聞いています。それが、大阪、京都、尾張、江戸と、巡業みたいに、廻っていたんです。そして、尾張に来た時、山車の上に人形を載せた。それが山車からくりの発端です。大津とか、京都の祇園祭とかでも、動く人形はあったんですが、それが定着したのは中部地方の尾張藩。中部地区では、祭りを奨励して、派手に行なうことを好んだんです」
溝口さん「名古屋というのはね、尾張徳川藩で、幕府の御三家の筆頭でしょ?格式が高い、ということで、中央(政権)の統制をあまり聞かなくても認められる立場だったんです。江戸時代は色んな規制があって、景気が悪くなると祭りを派手にやってはいけないといわれていたこともあった。ところが、尾張徳川藩の殿様は、とにかく芸事をどんどん奨励する人だったんです」

からくり人形を載せた山車は今でも人気。しかし現在では、からくりを直したり、新しく作る職人は少ないという。
溝口さん「日本中の修理のほとんどが玉屋さん(に発注される)。ここに頼まないと、いいモノが出来てこない」玉屋さん「県や市、都市の文化財とかは、材料を変えてはいけない、といわれていますから、プラスチックの材料を使って直すことは出来ないんですよね。からくり人形には、大体7種類ぐらいの木を目的(部分)に合わせて使うのですが、いい木は少なくなりましたね。でも、日本の木は(海外に比べると)いいですよ。日本の四季、暑さや寒さを越えてきている木というのは、凄くいいですね」
溝口さん「木は、我々が想像する以上に毎日、湿度を吸って動いているんです。私たちの犬山の施設で『茶運び人形』を動かしていますが、毎日動きが違います。例えば、梅雨時になると動きが鈍くなる。逆に、乾燥してると動きすぎる。微妙な調子がその時によって違うんです。彼(玉屋さん)が作る段階で、この仕事は何月にやる、この仕事は何月、というように1年の日本の気候に合ったスケジュールを組んでおられるんですよ」
玉屋さん「『茶運び人形』は特にそうですね。1年通して時間を掛けて作っています。組み立ては6月から8月まで。一番湿気の多い時に組み立てることで、来年の6月にも動くものが出来る。乾燥期に組み立てたら多分夏には動かないでしょうね。それに加えて使う木を吟味します。色んなことを考えるので大変です(笑)。

今、2代目の(作った)人形が動いているんですが、いい木を使って作り上げていくと何百年も持つんです。 7代目からよく言われていたことですが、『作ったら100年戻ってこないような作り方をしろ』ということですね」

7代目とは、玉屋さんのお父様。こう書くと、からくり人形師の家に生まれたから家業を継いだと思われがちだが、実際はそんなに簡単なものではないという。玉屋さん「継ぐか、継がないか、というよりも、”継げるか、継げないか“。腕のいい職人が玉屋を継いでいきます。7代目が父で、8代目が兄、僕は弟なんですが、血筋の中でも腕のいい悪いはありますので、息子が出来が悪かったら、腕のいい弟子に渡していきます」
溝口さん「過去にも、2人ばかり、血縁の無い人がいますよね」
玉屋さん「そうですね。どれだけ勉強しても素質がないと難しいですし…。指先(が器用なこと)と感性。感性が一番大事かな。復元とは真似をして同じものを作るということですが、それでも色々な要素が必要です。絵を描くこと、歯車を作ること、彫刻の技術も必要ですね。総合芸術のような感じで、人形だけでなく、衣装とか機械面とか、演目関係とか、全てを覚えるのに、普通の人は15年ぐらいかかる。それに感性が加わっていく」
溝口さん「からくり人形師のことを日本のレオナルド・ダ・ヴィンチだ、といった海外の人もいるらしいですよ。そのくらい色んな知識が要求される。それに、同じ人形でも、7代目、8代目、9代目、と比べると、特にお顔のつくりが違いますね。感性の違いでしょうね」
玉屋さん「そうですね。家が続いているので、比較材料がすごくあるんですよね。何代目の作品がいいとか…」
溝口さん「この人自身が270年の歴史を背負っている。そのプレッシャーもあるでしょうね」
玉屋さん「やっぱり”好き“だけですよ。何か作っているのが好きだからなんとかやっている。もちろん、嫌になる時もありますよ。全然仕事したくなくて、『今日は1日パチンコしよう』とか(笑)。それは極端な話ですが…。

前の代に負けないようにしたいという気持ちは強く持っています。修理・復元だけじゃなくて、新たな新作も作りますから、何でも、挑戦、挑戦ですね」。

 
 


Biography

たまや しょうべい 尾陽木偶師。95年、玉屋庄兵衛を襲名。本名は高科庄次。24歳で父・7代目玉屋庄兵衛の内弟子となる。兄(8代目)を継いで41歳で9代目となる。03年、名古屋市芸術奨励賞受章。翌年開催された愛知万博では長久手愛知館で指南車に創作からくりを合体させた「唐子指南車」を披露。05年には英国大英博物館に「茶運び人形」を寄贈する。現在は各地のからくり人形の修復・制作に加え、創作からくりの制作。そして、実演・講演会を通して世界各地にからくり人形を広めている。