日本人デザイナーが与えた
世界への衝撃を伝える
Akiko Fukai
京都服飾文化研究財団チーフ・キュレーター/服飾研究家 深井晃子(2014年5月2日記事)

ミニマルな中から生まれる超洗練は
日本人ならではの美意識

カナダ・テキスタイル博物館にて5月25日まで行なわれている昭和期の芸者歌手、市丸さんの着物の展示 会「From Geisha to Diva The Kimonos of Ichimaru」。その特別展のレクチャーと、ジャパンファウンデーション・トロントで開催されたファッションに関するトークイベント「From Wabi-Savi to Kawaii?」の特別ゲストに招かれた服飾研究家でありキュレーターの深井晃子さん。ファッションの展覧会を企画、監修するキュレーターとして活躍する彼女は国内海外で展示会を開催している。 

bits  さまざまなイベントにおいて深井さんがテーマにしているのは1980年以降の日本のファッションの歴史。80年代というのは日本人デザイナーが世界のファッション界において初めて注目された画期的な時期だったという。

「80年代というのは川久保 玲、山本耀司(ようじ)、三宅一生といった才能のある人たちがまとまって出てきた時期なんですね。元々ファッションというものは西欧のもの。それまで日本のファッションなんて誰も見向きもしなかったのに、彼らが台頭して世界から注目されるようになったんです。私自身、その当時のことが非常に印象深くて、書物にまとめたり、展覧会で発表したりしてきました。言うならば、それが私のテーマですね」その時期に世界的に知られるようなデザイナーが数多く輩出された理由は2つあるのだと言う。

「1つは日本の経済状態。バブル景気に沸いた頃で、誰もが海外に出たいと思っていた時期。当時のデザイナーは、世界で認められないと意味がないと思っていた人たちで、才能に加えて勢いがありました。 そしてもう1つは日本人の美意識が世界に受け入れられ始めたこと。川久保玲(コム デ ギャルソン)と山本耀司が1981年のパリコレクションで発表して世界に衝撃を与えた、ぼろ布のようにほつれ、不揃いの穴が開いたスタイル『ボロルック』がいい例だと思いますが、彼らは自ら制限を課して、ストイックなモノづくりをしたわけですよ。白または黒のみなど色を限定し、刺繍などを施すことなく、ミニマルな中でモノづくりをしたんです。その中から、わざと破れたように見せるような作風を生み出したんです。

完全なものを美しいとするのがヨーロッパの考え方。日本には不完全なものを良しとする美意識がありますよね。お茶を例にとると、歪んだお茶碗やお茶室の柱が曲がっていたりすることに美を感じる。"ウルトラ・ソフィスティケーション=超洗練"という日本人の中にある、洗練を超えた美しさを感じるという美意識を80年代の日本人のデザイナーたちは狙ったんだと思います。そしてヨーロッパには存在しなかったこ の新しい美意識を認めてくれる人がその頃に出てきたというわけです。今は、アジアからの人が多いですが、80〜90年代には、欧米から日本人デザイナーの服を買うために、日本に来る人もいました。それほど日本人デザイナーのファッションは注目を浴びていました」そのように勢いのあった80年代の日本人デザイナーたちの躍進ぶりと比べ、現在、世界的に名の知られた日本人の若手デザイナーは少ない。

今の人たちは、昔ほど一番になろうという気概がない気がします。それには日本の文化やファッションがすでに世界で認められているというのもあるかもしれません。また、ファストファッションが浸透している今、安い洋服がすぐに手に入るようになって、消費者側もそれに満足しているという図式が出来上がっ ていますよね。今後はまた、それだけでは物足りないなと感じ始めると思いますけどね」

そのように経済情勢や社会の状況も影響するファッションのトレンド。70、80、90年代に亘りその歴史を見てきた深井さんにとって現在は、トレンドを一本化して語ることが難しいという。「80年代には人気デザイナーに追随したデザインが広がり、同じようなスタイルで価格を抑えたファッションを一般の人が着るというピラミッド的なものがありました。今はそういうものがなくなってきていますよね。何でもOKみたいな。同じ時代を生きている人たちは、自然と同じ方向性のものを求める傾向にある、それは確かなことなんです。なのでトレンドが全くないということはないですが、1人のデザイナーが作りだしたトレ ンドにみんなが追随するという以前のようなわかり易い風潮はないと思います」

京都国立近代美術館で5 月11日まで開催中の
「Future Beauty:The Tradition of Reinvention in Japanese Fashion」

2013 年に米国セーラム市にあるPeabody Essex Museum にて行なわれた
「Future Beauty:Avaut-garde Japanese Fashion」の展示

時代により変化するものがトレンドであり、また、年月を経て繰り返されるのもトレンドだ。
「人間が着るもののデザインにはその可能性に限りがある。そうすると、昔流行していたものが、また流行るというのは仕方がない気がしますね。また、今活躍しているデザイナーたちは服飾の歴史をよく勉強していますよ。マーク・ジェイコブスの作品にもそういう感じが出ていますね。ですから、どこかで以前見たような感じのものが出て来ても不思議じゃない。あとは人は目新しさを求めますよね。例えば、今、細身のスタイルが流行っていたとします。でも細身の服ばかり見ていたら、大きめのファッションが新鮮に見える。そして今度、大きめのファッションが続くとまた細身のものに目新しさを感じるという人間の心理にも通じていると思います」

深井さんがファッションに興味を持ち始めたのは、ちょうど日本人のデザイナーが世界で活躍し始めた頃と重なる。70年代半ばにパリで美術史を学んでいた深井さんは当時、高田賢三(KENZO)や三宅一生という日本人のデザイナーの名前を耳にし、ファッションがとても力強いものに思えたのだという。その頃は留学というのが今より一般的ではなかった時代。強い思いで海外留学を果たした深井さんにとってパリという街は自分にぴったり合っていたと当時を振り返る。

「文化の違いでのとまどいなどは全くありませんでしたね。フランス人は他人にあまり干渉せず、個人がのびのびと自由に生きている感じがして、それが心地良くて私に合っていた気がします。 あれしたらいけない、これしたらいけないって当時の日本は今よりずっとうるさかったので。でも、フランスではそれぞれ個人が自由な生き方を選択し、それを尊重していて、その自由な雰囲気が私は好きでした。ただ、言葉には苦労しました。日本でフランス語は勉強していたのですが、現地に行ったら何を話し ているのか分からなくてチンプンカンプンでしたね(笑)。毎晩泣いていました」

日本に帰国後、京都服飾文化研究財団に勤務しながらファッション関連の展覧会のキュレーターとして30 年以上のキャリアを築く。長期に亘り活躍し続けるために一番大事にしていることは健康であると即答し、後を続けた。

「私はキュレーターとして働いてきましたけれど、大学で教えたり、本を書いたりもしてきました。そのようにいろいろなことをこなすのには何がなんでも健康、体力がないとやっていけません。体力があれば考える力もあって、人より多くのことができますよね。あとは、今自分に与えられていることに最善を尽くすこと。それしかないと思う。今、やらなきゃいけないことを疎かにしたら次にいけない。それだけは本当に実感しますね。これまでどれだけやっても、まだこれでは完璧じゃない、と自分に厳しくしながら最善を尽くしてきました。いい加減にやっているとみんな見ていますからね」

西欧の服飾史から現代のトレンドまで学術的に論ずることができるのは日本でただ1人と言われている深井晃子さん。
「開拓的なことをしてきたという自負はあります。今までそういう人がいなかったわけですからね。この先、若い人が続いてくれたらいいなって思います」。

 
 
Biography

ふかい あきこ

公益財団法人京都服飾文化研究財団理事/チーフ・キュレーター。西欧の服飾史から現代ファッションまでを学際的に論じることができる服飾研究の第一人者。その業績は海外でも高く評価され、講演や寄稿など海外での活動も多い。お茶の水女子大学、同大学院にて西洋服飾史を専攻。パリ第4大学(ソルボンヌ)で美学・美術史専攻。『ファッションの世紀共振する20 世紀のファッションとアート』、『ファッション18 世紀から現代まで』など著書多数。