世代、国境を超えて長く愛されるステージ
Antonio Koga
ギタリスト アントニオ・古賀(2012年5月18日記事)

感情を共有することで伝わる音楽

Antonio Koga

ギタリスト、そしてボーカリストとして活躍するアントニオ・古賀氏のトロント初公演が5月4日、グレン・グールド・スタジオにて開催された。「その名はフジヤマ」などのヒット曲をもち、NHK紅白歌合戦に出場。哀愁漂うギターメロディと昭和のラテンブームで一世を風靡したアントニオ・古賀氏。会場には、当時を知る彼と同年代の日系人ばかりかと思いきや、日本語を母国語としないカナダ人、20代の観客も多く見られた。ステージは二部構成。一部はギターのみの演奏、二部では歌が入り、途中からは観客と掛け合いの大合唱、最後は客席総立ちでラテンのリズムに合わせて踊るという盛り上がりを見せた。年齢を感じさせないパワフルなギターテクニックと、伸びのある歌声の素晴らしさは言うまでもなく、観客をその曲の世界にぐっと引き込むステージには迫力さえ感じられた。ステージと観客が一体となったコンサートは、スタンディングオベーションで幕を閉じた。そんな熱いステージを終えた翌日、古賀氏にお話を伺うことができた。

「昨日のステージはお客さんのノリがよかったよね。お世辞ではなく(笑)、本当に。会場には日本語が分からない人や日本の音楽を聞いたことがない人、それに僕のことを知らない人たちもたくさんいたよね。その中で同じ音楽を共有するのは難しいことでね。そういう時、僕が大事にしていることは感情を伝えるということ。どうやったら自分の音楽をお客さんに気持ち良く伝えることができるか、どういう状況を作ればお客さんに素直に伝わるのかを意識してね。僕は(この曲を)こう感じているんだけどそう思わない? と、お客さんに語りかけるように…。僕は舞台から、”俺の音楽はこうです。聴いてくれ“ という態度じゃなく、常にお客さんと一緒に楽しみたいと思ってる。そういう一体感のあるステージがトロントでも出来たっていうことはうれしく思うね」

今年で芸能生活53周年を迎える古賀氏。故・古賀政男氏に弟子入りして18歳でレコードデビューし、現在に至る。

「ギターを始めてからは63年になるんだよ。7歳のときに母親に連れられて当時大人気だった古賀政男ショーに出掛けてね。そこで見た故・阿部保夫さんの演奏に衝撃を受けて、ギターを弾いてみたい! と思ったのがきっかけ。長く続けていく上で苦労したことってなんですか? って、よく聞かれて困るんだけど(笑)、ギターを弾くのがとにかく好きだから楽しくてしょうがなくて、他の人のギターを聞くと、”あ、その音出してみたい。あんな曲を試してみたい“と、次から次へと課題が出てきて何年までに何をしよう… なんていうことを決めずに、その日その日に全力を尽くして、気が付いたら63年経っていたという感じ」

ラテンメドレーでは、手拍子も出て会場が一段と沸いた前日のコンサート。クラシックギターを学んでいた古賀氏がラテン音楽を始めたきっかけは不純なものだったそうだ。

「中学か高校の頃、ロックバンドを見てね。エレキギターを弾いて歌ってると、女の子がステージに走りよって、キャーキャー騒いでいる。クラシックギターには全くない世界がそこにはあったんだよね。それで僕はその頃流行っていたラテン音楽をやってみたんだ」

昭和ラテンブームが席巻していた当時の日本。メキシコのラテンコーラスバンド、トリオ・ロス・パンチョスが日本で公演。その際に共演したのが縁で、メンバーから贈られた「その名はフジヤマ」が大ヒットとなった。そして、古賀氏が日本ラテン音楽協会理事長に就任して今年で25年が経つ。ラテンアメリカに向けての音楽教育基金作りに取り組み、その活動が認められ、2008年にはキューバとの友好親善に貢献した人物に贈られるキューバ連帯大勲章を受章した。音楽と平行して精力的に行なっているチャリティ活動。日本からキューバにピアノを送るなどしているそうだ。

「チャリティ活動の一環で、コンサートの収益金をキューバの子ども達へ送っていたら、キューバ側からピアノが欲しいとリクエストされてね。ボロボロのピアノを子どもたちが一生懸命弾いている姿を見て、日本からピアノを送るようになったのが始まり。キューバという国は革命から何十年も経っているのに、まだ貧しさが残っているんだよね。(でも)、才能のあるミュージシャンがいっぱいいて、良い音楽の土壌があるキューバは個人的にも大好きな国。日本の戦後のような雰囲気があるのもいいんだよ。子どもの目が情熱的で、家族の絆が強くて。人の気持ちが豊かなんだよね」

これまでに23回も訪れているというキューバ。このインタビューの2日後にもキューバに行く予定なんだよ、と嬉しそうに話してくれた。日本からキューバへ行く際は、毎回トロントで乗り継ぎをしているとのこと。今回の公演を機に、再びトロントで公演をする予定はないのだろうか。

「実は、再来年にトロントで予定されている戦後移民のイベントで、コンサートをする話が昨晩持ち上がったんだよね。その際には、トロントの日系人の方に詩を書いてもらって、僕が曲を作るなんてことになるんじゃないかな。海外に住んでいる日本人の方が日本を客観的に見られて、中にいる日本人よりも見えている部分があるんじゃないかなと思ったりもしてね。そういうことを盛り込んだ日本の歌が出来たらいいですね」

音楽を通じて現在の活動が次の活動へとつながっていく。古賀氏は、好きなことを楽しんでいるだけと謙遜するが、音楽活動を続けていく中で常に念頭にある言葉があると教えてくれた。

「亡くなる前に母親が、”人は棺桶には1人で入るの。だから(この世では)友達をたくさん作って人を大事にしなさい“と言ったことを覚えています。人からされて嬉しいことを他人にもしていくのよ、と。まぁ、人として基本的なことなんだけどね。あとは、1日1日を精一杯、着実に生きること。いつまで生きるかなんてわからないから中途半端なことはしない」

天職というのは、何かを始めた当初はわからない。1つのことに打ち込んで目の前のことに全力を尽くし、人生を振り返った時にそれが天職だったと気づくのではないだろうか。何かに出会った時のやってみたい! という心の声に素直に従い、それを思う存分楽しむ。そのことに邁進する中で出会った人たちとワクワクする思いを共有し、人の役に立ち、喜ばれる。多くの人が模索する天職を見つける手がかりを、古賀氏の言葉の中に見たような気がする。

Biography

アントニオ こが

1941年東京生まれ。本名は伊東貞行(いとうさだゆき)。8歳からクラシックギターを始め、15歳で当時歌謡界の頂点に君臨していたギタリスト故・古賀政男氏に弟子入り。デビューは59年。「その名はフジヤマ」などのヒット曲を送り出し、66年、NHK 紅白歌合戦に出場。88年から日本ラテンアメリカ音楽理事長に就任し、キューバへのチャリティ活動を献身的に行なっている。また、日本ギター指導者協会会長として、ギターコンサートを全国各地で開催するなどギタリストの養成にも努めている。