美術から社会と歴史を紐解く
Asato Ikeda
美術史准教授/研究者 池田 安里(2016年5月6日記事)

所蔵数1万点、ROMは日本美術の隠れた宝庫

去る3月12日と13日、ロイヤル・オンタリオ博物館(以下、ROM)にて開催されたイベント「Edo Day at ROM」に足を運び、江戸文化に親しんだ読者もいることだろう。5月7日からは「A Third Gender: Beautiful Youths in Japanese Prints」と題した江戸文化をさらに深く掘り下げるROMでの特別展がいよいよ幕開けとなる。その仕掛け人は大学の美術史の准教授(Assistant Professor)であり、ROMの研究員でもある池田安里博士。これまでトロントでさまざまな企画や展覧会、講演会を行なってきた彼女にお話を伺った。

―今回の特別展が行なわれることになった経緯を教えてください
「ブリティッシュ・コロンビア大学時代の担当教授だったジョシュア・モストウ先生と、一緒にやってみよう! という話になり、企画までたどり着きました。ROMのコレクションを使って浮世絵展を行なうのは40年ぶりで、今回、70点の浮世絵をフィーチャーしています。トロントでは非常に貴重な機会ですので、是非多くの方々に見ていただきたいと思います」

―池田博士は大学で教えたり、研究員だったりといろいろな顔をお持ちですが、具体的にどのような活動や研究をされているのですか?
「いわゆるキュレーターと呼ばれる仕事で、主に日本美術史のリサーチをしています。ROMの日本美術コレクションはカナダ1で1万点以上もあるんですよ。それらについて調査し、学術論文を書いています。その他に、高円宮ギャラリーの展示のローテーションやROMへの作品寄贈の申し出への対応、ネットワークの拡大、それに講演なども行なっていまして、すでにヨーク大学とトロント大学で講演をさせていただきました」

―かなり多岐にわたるお仕事ですね。ニューヨーク・フォーダム大学でも教えていらっしゃいますが、トロントと行ったり来たりされているのですか?
「今回はサバティカル(大学などで、研究などのために与えられる長期休暇)としてお休みをいただいています。ROMでの2年間の任期が終わる今夏に大学に戻り、秋からまた教えることになっています」
 
—もともと美術史にご興味があってこの世界に入られたのですか?
「そうですね。ただ、今回のROM特別展は『浮世絵』ですが、私の研究テーマは『第二次大戦中の日本美術』なんです。祖父の世代から聞いている戦争の話や、今さかんに議論されている戦争責任といったことが日本美術にどう反映されているのか、非常に興味があります」

—現在、ROMでされていることとは少し異なりますね
「今回ROMに来たのは、日本美術のコレクションがたくさんあるからです。これほどのコレクションがあるにもかかわらず、常駐する学芸員がいないため研究が進んでいないという事情がありました。そういう意味で研究のしがいがあります」

—常駐の学芸員がいないというのは意外です
「浮世絵だけでも2,500点以上あるんですが、浮世絵専門の学者でさえROMに浮世絵があることを知らないんですね。もっと一般の人が見る機会を増やすための活動をするなど、さまざまな可能性があるのに、眠らせておくのはもったいないと思っています」


Courtesan and client in brothel
Attributed to Kitagawa Utamaro (1754-1806)
Sir Edmund Walker Collection 926.18.550
© ROM, 2016.


—美術史の研究からどんなことが見えてくるのでしょうか?
「美術史は明治以降に出てきた西洋の学問なので、一般にはなじみが薄いかもしれませんね。中国の人文学者たちは南画について誰の絵が良いとか悪いとか評していたといいますが、そういったこととも違います。その絵を見たときに、その絵が何色で、なぜその色なのか、何が描かれているのか、なぜそれが描かれているのか、どういうところで展示されたのか、だとしたら、どういう意味を持ったのか、アーティストは何を考えたのか、見る人はそれをどういう風に受け取ったのか、そのようなことを分析して考える視点があって総合的な解釈をしていくわけです。こういうスキルは生きていくうえでも役に立つと思います」

—なるほど。そのあたりが美術史の醍醐味ともいえるのでしょうか?

「物を見て解釈するという作業、歴史を見ていく作業は実におもしろいです」

—印象に残っている作品はありますか?
「葛飾北斎の娘は“お栄”というのですが、彼女の作品は数点しかないんですね。ついこの間、お栄の本を書いたキャサリン・ゴビアさんという方がROMにいらしたので、一緒に倉庫の中を見ていたら、お栄の署名入りの作品が3点も出てきたんです。彼女は、北斎の工房で多くの弟子と一緒に働いていて、その描写力は秀逸だったといいますが、その通りでした。美術館で働いていると、時々こういう奇跡のような出会いがあるんです」

—美術史を通して伝えていきたいことは、何ですか?

「美術というものはきれいですから、鑑賞する側は現実と切り離して考えることが多いような気がします。でも、作品には社会的な意味や政治的な意味もある。別の言い方をすれば、その美術作品は生まれる社会によって価値や意味合いが変わってくる。私はその裏側にある社会状況などを追究していきたいと考えています」

—たとえば、池田博士の研究テーマである戦時下の美術作品ではどうでしょう?

「戦争中のトラウマだったり、生きることがつらかった思いだったりを美術家は絶対にどこかで表現しています。ですから、アーティストの背景と社会背景もつなげて考えていきたいですね」

—美術から歴史的価値を探求する池田博士はどんな人生観をお持ちなのでしょうか?
「目標を決めて、リスクは大きくても、自分で責任を持って決断しながら生きていければと思っています。もちろん、やりたいことだけでなく、やらなくてはいけないこともあります。ですが、やりたいと直感的に思ったことを、やっていければいいですね」



 
 


Biography

いけだ あさと

ニューヨーク・フォーダム大学美術准教授(Assistant Professor)。2014年より2016年夏までロイヤル・オンタリオ博物館で研究者としてさまざまなイベントや展覧会を手がける。ブリティッシュ・コロンビア大学博士課程を首席で卒業し、カナダ政府総督府より金メダルを授与される。著書に「Art War in Japan and its Empire」(監修、ブリル出版)、「Inuit Prints: Japanese Inspiration」(共著、オタワ文明博物館出版)などがある。一児の母。