女性ゆえのポテンシャルで日本各地の民俗文化を表現したい
Chieko Kojima
パフォーマー 小島千絵子(2018年5月11日記事)

©Dave Ohashi


表現者として生きていきたい その意思がすべての原点


今年2月、日系文化会館にて「太鼓と舞のコラボ 小島千絵子(鼓童)&永田社中」が開催された。同公演は小島千絵子さんのソロワーク「ゆきあひ」としてのタイトルではあったものの、かつてともに「鼓童」として活動していた「永田社中」のメンバーとの縁があって実現したコラボレーションであった。そんな小島千絵子さんに公演前日、表現者としての活動のきっかけから、「ゆきあひ」に込められた思いまでについて話をうかがった。

―千絵子さんの表現者としての本格的な活動は、和太鼓グループ「佐渡の國鬼太鼓座」から始まりましたが、入団のきっかけは何だったのでしょうか。
学生時代に美術系の学問を専攻していたこともあり、 何かしらのかたちで表現をする生き方を模索していたのが20代前半の頃。その当時、かの永六輔さんが、佐渡島を拠点とした若者たちによる和太鼓グループ「佐渡の國鬼太鼓座」の活動を非常に評価されていたことを知ったんです。そこで私も関心を持ち、篠田正浩監督が撮影された彼らのドキュメンタリー映画を鑑賞しまして。自分とほぼ同年代の人々が、佐渡島という、いわゆる賽の河原とも呼ばれるような「この世でもあの世でもない、境界線上としての場所」にて共同生活を行い、ただひたすらに太鼓を打ち続けていて、特に何に媚びるわけでもなく、それを表現の次元に転換させている姿を目の当たりにしたんです。

―とてもハードワークですね。入団することに不安はありませんでしたか?
そうですね、好奇心が勝りました。そもそも和太鼓はお祭りなどに使用される楽器であって、アートや舞台上でのパフォーマンスの要素としてはまだまだ認識されていなかった時代ですから、一体この人たちはどんな目線で、何に向かって生きているのだろうと、不思議で面白くてたまらなくて。追っかけをやってみたりもしたんですけど(笑)、外から見ているだけでは何も分からなかったので。ならば、自分も彼らの一員となってみよう、いや入団するしかない!と思ったんです。太鼓演奏の経験はゼロに等しかったのですが、ここから表現者としての人生の歩み始めることになりました。




©Dave Ohashi


©Dave Ohashi

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―「佐渡の國鬼太鼓座」を経て「鼓童」を立ち上げられましたが、その変遷の中で印象的だったことや、現在までのご自身に繋がるターニングポイントのようなものはあったのでしょうか。
「佐渡の國鬼太鼓座」には女性メンバーも在籍し、太鼓を叩いてはいましたが、どうしても男女の振り分けというものはあって。男性は太鼓演奏をして、女性は全国各地に根付いている、例えば盆踊りですとか、そういった民俗芸能を基にした創作踊りする、という役割分担が行なわれていました。女性だからこの演目の太鼓演奏はできない、ということもありましたね。そこで初めて、全体として見たときに女性の太鼓奏者は全体的には非常にマイノリティで、時にネガティブにすら捉えられてしまう存在なのだと、自分自身にも劣等感を抱くようになったんですね。けれど逆に、どのようにしたら女性性を追求し表現していけるだろう、と考えるようにもなったんです。そして1981年、新たな和太鼓グループ「鼓童」を当時のメンバーとともに設立しました。自分たちが培ってきた技術と経験を頼りに、新体制として出発することになったのです。この時代になると、従来より女性の太鼓奏者が増えるようになり、「鼓童」のような新しい和太鼓グループが次々と派生していきましたね。私も「鼓童」を設立してからは、以前よりも太鼓をもっと叩くようになっていたのですが、「佐渡の國鬼太鼓座」時代に身に付けた踊りが大好き、という気持ちもずっと残っていて。かつての悩みであった、自分が女性であることゆえのポテンシャルを、今なら上手く表現できるのではないのかと思いました。

―つまり、「女性であること」にテーマをシフトさせていった、ということですか?
そうですね。そこで私を含めた女性3人で「花結」というユニットを組み、柔らかさやしなやかさを念頭に置いた、女性ならではの太鼓叩き、踊り、そして歌から成る世界観を構築してみようと思ったんです。そのデビューがアメリカで開催された太鼓カンファレンスだったのですが、その中で「花八丈」という演目を行なったんですね。すると、その演目が終わった瞬間、客席の皆さんが総立ちし、とても大きな拍手を送ってくださって。後から聞いた話によると、特に女性の方々は、良い意味で非常にショックを受けたのだと。男性社会として見られがちだった和太鼓の舞台に、女性らしさの要素がところどころに、それもポジティブに散りばめられていて。個人的な経験をバネに表現したわけですが、結果的にはそこにいた多くの女性の方々の物語というか、人生に通ずるものがあったのでしょうね。国境を越えて、「女性であること」の様々な想いを共有できた瞬間だったと思います。

―「ゆきあひ」というソロワークには、どのような想いが込められているのでしょうか。
今から20年前より始めたのですが、 「花結」で得た手応えもあり、私自身が女性であることを特に意識している活動です。全国各地を自ら旅し、様々な表現者の方々とその音に出会い、彼らとコラボレーションし、その中でまた新しい自分との遭遇を試みる、まさにその名の通り「行き逢い」そのものがテーマとなっています。私の表現方法は日本各地の民俗的な和太鼓や踊りが主なので、ジャンルとしては日本の伝統芸能となりますが、それらは決して単に古いものではなく、今を生きている人間によって表現されているという意味で、新たに再創造され続けているものだとも思うんですよ。だからこそ、様々な個性を持つ表現者の方々と、日本各地で派生した民俗文化を、もっとクリエイティブなものとしてお見せすることでできればいいなと。けれどそれと同時に、ひとつひとつの原型を尊重することももちろん大切。ですから私は、日本の民俗文化の継承者かつアレンジャーの1人として、自分の表現活動を展開していきたいと思っています。


Biography

こじま ちえこ
栃木県岩舟町出身。1976年、新潟県佐渡市の和太鼓グループ「佐渡の國鬼太鼓座」に入座し、1981年に「鼓童」をメンバーとともに創立。現在では「ゆきあひ」というソロワークのもと、主に様々な和太鼓グループと独自の舞踊を融合させた舞台を展開している。