戦争文学を書くことは 三島由紀夫から与えられた宿題
Jiro Asada
作家 浅田 次郎 (2015年12月4日記事)

作品にかけた時間、 その分だけ心が伝わる

10月に行なわれた日本ペンクラブとカナダペンによる両国作家交流イベント「Japan-Canada Literary Conversations」。 ジャパンファウンデーション・トロント助成、トロント大学協力によるこのイベントに参加するため、日本ペンクラブを代表して会長の浅田次郎さん、作家の松本侑子さん、そして児童文学評論家の野上暁さんが来加した。日本ペンクラブは、平和を希求し、表現の自由への弾圧反対に賛同する作家らによる団体。さまざまな国際イベントの開催やセミナーを行なう活動をしている。当日のイベントで浅田さんは、国際ペン会長のジョン・ラルストン・ソウルさんと「戦争と文学」をテーマに対談を行なった。

直木賞受賞作品の『鉄道員(ぽっぽや)』のほか『蒼穹の昴』『中原の虹』など、数多くのベストセラーを持つ人気作家の浅田さん。浅田さんには、小説家としてデビューする以前に、陸上自衛隊への入隊経験があり、そのことが小説家として生きる大きな後押しとなっている。

「自衛隊に入隊した理由は、三島由紀夫が自衛隊の中で腹切りをしたことに衝撃を受けたからです。私は三島を文学的に尊敬していました。1度、私が17歳の頃に会ったこともあります。原稿を持って行ったら嫌な顔をしていましたけれど…。彼のその突発的な行動により”文学者とは?”と、興味が沸きました。自衛隊にいた2年間は、三島由紀夫についてずっと考えていました。除隊は昭和48年の4月1日。この日のことは克明に覚えています。青い空の下、桜が満開に咲いていました。私服に着替えて自衛隊を出て行く時に、三島が亡くなり、以降ずっと彼のことを考えていた時点から僕は進んでいくんだ、と強く思いました。その時の気持ちは、どんな賞をもらった時よりも鮮明に記憶に残っています。そして戦争文学を書くことは、三島からもらった宿題なんだと思っています」

浅田さんの戦争文学の代表作の1つとして、『終わらざる夏』が挙げられる。8月15日の敗戦を知らせる玉音放送3日間後に起きた、北の孤島、占守島(しゅむしゅとう)での戦い。その知られざる戦いを軸に、戦争を俯瞰ではなく、 市井の人々の目線で描かれた物語は、1人1人の命、1人1人の人生の尊さを訴えかける。浅田さんの持つ深い軍事的な知識と膨大な資料を読み、取材を通して描かれた作品だ。

「生存されている戦争体験者にも話を聞きましたが、当時の話を引き出すのはずいぶん苦痛でした。話したくない人も多いですし。生きている人から取材するのも大変でしたけど、生きている人は僕が間違ったことを書いたとしたら文句を言える。でも、亡くなった人は言えない。この作品は月刊誌の連載で書いていたので、連載中、クレームは怖くもありましたが、一方で、そのクレームを作品に生かすこともできるので、有難くもありました。 戦争について書く時に僕がいつも思っているのは、文句を言えない人々、亡くなった故人の言葉にどれだけ自分が責任を持てるか。死者からの苦言というのを恐れなければならないということ。その責任を持つことが小説家の使命だと思います。登場人物は架空の人。でも、戦時中に必ずこういう人がいた、という確信が持てるまでは書いてはいけない。インタビューをしてその人の過去を調べるということではなく、必ずこのような人間はいたぞ、という強い確信。それは小説のリアリティであり、小説家の責任だと思っています」


▲『終わらざる夏(上・下)』浅田次郎/集英社


そして戦争文学にまつわる作品として、「とても面白かったし、いい仕事をしたと思っています」と浅田さんが話すのは、2011年から2013年にかけて刊行された集英社の「戦争×文学」シリーズ。浅田さんが編集委員として名を連ねるこのシリーズには、浅田さんの作品をはじめ、さまざまな作家による近年から現代までの戦争を題材にした作品がテーマ別に収録されている。

「このシリーズに携わっていた間は、4年がかりで数多くの戦争文学を読みました。明治時代の小説から今日まで、僕らのように戦争を知らない人たちが書いた戦争文学までを網羅しています。すべては入れられないので名作だけを集めましたが、この仕事を通してしみじみ日本の戦争文学はすごいな、と思いました。海外と比較しても日本はかなり特殊な風俗をもっていて、戦時中に制約を受けて、書きたいものが書けなかった時代があったにも関わらず、日本には昔から戦争文学というものがジャンルとして存在しているんです」

日本に戦争文学が多く存在する理由は、海外から自然主義文学が入ってきた際、日本では私小説として広まったことによる、と浅田さんは続ける。

「日本に1番最初に入ってきた西洋の文学は自然主義文学でした。ヨーロッパでいうところの自然主義文学は、キリスト教からの束縛から離れた人間を書く、という意味だったんだと思うのですが、当時の日本人は、そこまで理解せずに持ってきた。もともと日本には宗教的束縛がないので、日本的な倫理観からとき離れ、ありのままに書くことが自然主義=私小説となった。そのような文学的な流れがある時代に、文学者が戦争に放り込まれ、たくさんの私小説が生まれ…。人間の希望の分だけたくさんの戦争文学ができたのだと思います。いつ、どこの文化においても、苦悩というのは文学の核。今の小説が堕落したな、と思うのは苦悩がないからだと思いますね。恵まれた生活の中では苦悩を探すことは難しいので、今の時代は文学が成立しにくい。だから苦悩のある時代を描いた時代小説がブームになったりするんだと思いますね」

さらに時代の変化とともに、文章を書く、という作業も、手書きからパソコンへと移行した。パソコンで小説を書くことが、作品にどのような影響を与えているのか、現在も手書きで原稿を書いている浅田さんに最後に伺った。

「何千年も前に作られた文字というものは、手で書くようにできている。小説を書く上で1番最初のハードルは、昔はたくさん字を書けるかどうかということでした。原稿用紙200枚とか信じられないほど大量の文字を原稿用紙に書くことが最初のハードル。それだけでも、向き不向きがあり、そこで9割くらいは振り落とされる。その壁がなくなった今は、字を書くのが好きじゃなくても書ける。すごく間口が広がったわけですよ。でも、それが文学にとって幸福かどうかは別問題。出来上がりとしては、その人間がかけた時間、努力が重量感として読み手に伝わってくる。それは心が伝わる、ということ。そういう意味で、書きやすくなったけれども、小説家になりやすくなったわけでない。小説家になるのは雲を掴むような話。なりたい! と思っているだけではダメ。読み書きがすごく好きじゃないと」。

 
 


Biography

あさだ じろう

1995年、『地下鉄(メトロ)に乗って』で吉川英治文学新人賞を受賞。以降、97年、『鉄道員(ぽっぽや)』で直木賞、2000年、『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞、『お腹召しませ』で06年、中央公論文芸賞、07年司馬遼太郎賞を受賞。08年、『中原の虹』で吉川英治文学賞、10年『終わらざる夏』で毎日出版文化賞を受賞するなど、数々の文学賞に輝く。11年から日本ペンクラブ会長を務める。15年、紫綬褒章受章。