決して諦めないこと、
挑戦し続けること
中西 麻耶
陸上選手(2012年3月2日記事)

パラリンピアンが教えてくれる勇気

夏に開催されるロンドン・オリンピック&パラリンピック。トップレベルのスポーツ選手が一堂に会するその大会に日本代表として出場するため、世界記録を塗り替えるため、そして、記録はもとより、そこからもっと大切なものを多くの人に伝えるために日々トレーニングを積む義足の陸上選手に、今回はお話を伺った。

中西麻耶さんは北京パラリンピックに参加した、短距離と幅跳びの選手だ。陸上を始めて1年たらずで世界の舞台へ、そして入賞を果たすという快挙を遂げた。輝かしい成績に思えるこのパラリンピックだったが、麻耶さんにとっては十分に満足いく結果ではなかったという。
「パラリンピックは他の大会とは雰囲気からして違いました。なんか、場違いなところに来ちゃったな、と感じたんですよね。そこには世界で活躍している選手 に囲まれて、『あぁ、日本だけでやっていたらダメだな』と思いました」
世界のレベルの高さに気づいたという麻耶さんは、アメリカにいい施設があると勧められ、サンディエゴのオリンピック・トレーニングセンターへ向かう。そこでは健常者・障がい者の区別なく、アスリート達が凌ぎを削っていた。麻耶さんもそこで、100m、200m、400m、そして幅跳びの選手としてトレーニングに参加している。
「100と200をやった時点で幅跳びの日本記録も出したいという気持ちが出てきたんですけど、当時は幅跳びを指導できる人がいなかったんです。そこでアメ リカに行った時に、実は幅跳びもやって日本記録を全部獲りたいんだ、という話をしたら、アメリカのコーチ(三段跳び、オリンピック金メダリストのアル・ジョイナー氏)が、やってみよう、って言ってくれたんです。私は右足が義足なんですけど、その右足で踏み込めと言われて最初は怖かったですよ。練習が終わった後に(義足と接している部分が)水ぶくれになってしまうことありました。でも、感動したんですよね。自由に空間を飛んでいる感覚に…」
21歳の時に就業中の事故で右足に怪我を負い、膝下からを切断することになった麻耶さん。切断しないという選択も提示されたというが、切ってしまったほうがいい、と判断した。
「医者の先生は切らなくてもいけるかも知れない、と言ってくれたんですが、自分の右足を見た時に、これは切らないとだめでしょう… と思ったんですよね。はっきり言ってもらっていいです、と先生に聞いたら、確かに切断してしまったほうが社会復帰も早いだろうということになって、決心しました」
事故前の麻耶さんは、ソフトテニスの選手として活躍していたという。
「テニスをすることでご飯を食べたいんだという気持ちもありましたが、軟式テニスにはプロの世界もないし実業団もホンのひと握りしかない。そんな中で、自分の競技を精一杯にやっていました。だから障がい者スポーツとは全く別の世界でしたね。障がいを負ってから、義足について知りました。
テニスを通じて、高校時代から厳しい指導を乗り越えてきたという自信もあったので、なんとなく、こんな状態だけど大丈夫だって思っていましたが、周りは、さすがに無理だろうという雰囲気で…。確かに、障がい者になって出来ないこともありました。今だから普通に歩いていますが、最初なんて1〜2歩いたら痛くて立ち止まっちゃう。冷や汗が出て全然歩けないんです。でも、それで歩くのを止めてしまったらもう歩けないわけじゃないですか? そんな気持ちに負けちゃいけないと思いながら、そうは言っても障がい者なんだから…っていう気持ちの両方がありました。でも、自分で何が出来るかと考えた時、やっぱりスポーツをやっていきたいと思ったんです。障がいを負ってもう出来なくなった、そう思っている人たちに、そんなことはないと言いたかったのと、障がいを理由に何事からも逃げようとしている自分に勝ちたくて… 負けず嫌いだけでやってきました。陸上が楽しいとか、自分が日本記録保持者だという実感が沸いたのは、アメリカに行ってからですね」
今、麻耶さんが付けている義足は日常生活用に作られたもの。足に覆いかぶせるようにして取り付けるようだが、義足に接する切断面の皮膚が摺れたり荒れたりするのは想像に難くない。
「私の場合はこれでトレーニングもするので、すこしハイカテゴリーのものを使っていますけど、基本的にこれは日常で使っているものです。
義足って、あるスポーツ用に作るわけではないんですよ。例えば、今、ヨガがはやってますけど、ヨガ専用の義足を作るという話ではないんです。ヨガをする時の前後左右の動きなど、必要となる動き、そして自分が義足側に対してどれだけ体重が掛けられるのかを判断して、それによってカテゴリーや足部のパーツを変えるんです。そうすることで、自分のやりたいこととか生活レベルにあったものを選択していくことになります。
例えば、陸上競技用の義足はかかとがない状態です。あれで後ろ歩きをしたり、前後左右を機敏に…って言ったらちょっと難しい。だから、完全に前に進むことしか考えてない義足なんです。そんな風にパーツを選んでいくんですよ」
保険適応内で義足を作ることも出来るというが、生活スタイルや要望によってはかなりの資金が必要となるようだ。
「金額も張りますが、その時に接した義足師の知識にもよりますよね。だから環境は大事です。でも、義足の技術ではなく、障がい者が社会にどのように馴染んでいくか、というところで日本は凄く後れていると思います。障がい者と言ったら、家にずっといて、しおらしく… というイメージが強いですが、今、徐々に変わりつつあるんです。ハイレベルな選手が世界では出てきていて、日本のトップだった選手達はその姿を見て変わろうとしている。日本はそういう、変化の境目にいると思います。新しいものにチャレンジする時って今までの様式を変えていかなきゃいけない。それを崩さなきゃいけないのは分かっているけど、踏み出していくには勇気が必要。その勇気がまだ日本には足りないのかなって感じますね」
そして、麻耶さんはこう締めくくってくれた。
「この3年間いろいろな世界を回って、私を待っていてくれる人がいること、決して1人で走っているのではないことを実感して、自分がやってることに自信が持てるようになりました。本当に苦しい時もあるけど、諦めなければ無理なことっていうのはないと思います」
既に選手選考会が始まっているロンドン・パラリンピック。世界を相手に、小さな身体で誰よりも速く駆け抜け、誰よりも遠くに飛ぶ麻耶さんを応援したい。
Biography

なかにし まや
1985年生まれ、大分県出身。06年、右足を膝下を切断。その後、障がい者スポーツに出会い、翌年より本格的にトレーニングを開始する。08年、北京パラリンピックへ日本代表として参加、100m6位入賞、200m4位入賞を果たす。09年より単身渡米。カリフォルニア州サンディエゴのナショナル・トレーニングセンターにて練習を開始する。10年には400mと幅跳びも加え、4種目において日本記録保持者となる。また、200mと幅跳びではアジア記録も保持している。ameblo.jp/n-maya