葛藤、思想を舞台に映す日本の踊り
Taketeru Kudo
舞踏家 工藤丈輝(2013年6月7日記事)

4月28日から15日間に亘り行なわれたカンアジアン国際ダンスフェスティバル。アジアの思想と美意識を伝えることをテーマにしたダンスの祭典にて舞踏「A Vessel of Ruins」を披露した工藤丈輝さんは短期滞在の忙しいスケジュールにも関わらず、快くインタビューに応じてくれた。

挨拶の後、さっそく工藤さんから前夜の舞台について「どうでした?」と感想を求められる。舞踏を初めて観たこと、難解だったことを伝えると、「踊りを見慣れていない環境の人は意味を探そうとする。といってもしょせん、踊りですからね。音楽を聴くのと同じようにしてくれればいいんです。音楽を聴く時って意味を考えないでしょ?」と、笑顔で応え、さらに舞踏について説明を加えてくれた。

「舞踏は、日本で発生した戦後のアートです。60、70年代に学生運動に代表される激しい抵抗があったじゃないですか。敗戦で日本の文化が根こそぎうばわれた後、よりどころを失った若い世代が、自分の内にあるものを掘り起こして文学、演劇、と新しいジャンルを立ち上げたっていう時代。舞踏はその時期に生まれたんです。

 今の若い世代は舞踏をダンスの1ジャンルみたいに解釈しているようですが、そもそも起こりが違うんですよね。舞踏は思想的というか、人々の感情、生活、精神に密着しているものなんです」工藤さん自身、舞踏との出会いは授業にもの足りなさを感じていた大学生 の頃だった。

「大学で文学を学んでいたんですけど、授業が退屈に思えてね。期待を抱いていただけに失望が大きかったんです。大学で勉強して、物書きになろうかと考えていたんですけど、このまま学校に通っているだけではつまらないと思って。草の根的な、民間でおもしろいものを探していましたね。でも、その時は何がいいのかわからなくて…。もがきました。文章、身体表現、絵画、音楽と探っている間に、舞踏にぶつかったというか。ずっとやりたかったというよりは、舞踏が僕の方によってきたというかね」

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舞踏は感情を体で表す身体表現。個人の思想、心の状態が動きの源となるため、ソロの舞踏公演には演出家や振付家はいない。舞台の責任を1人で負うことに対するプレッシャーについて聞いてみた。

「重圧は全くないです。芸術は自己責任だと思うんですよ。これは政治家が言っていた言葉ですけど。でも、どんな仕事だって、自分次第ですよね。たまたま僕が象徴的にこういうことをやっているけど、そういう状況は誰もが持っているんじゃないでしょうか」

カンアジアン国際ダンスフェスティバルのディレクターが、バンクーバー国際ダンスフェスティバルでの彼の舞台に感銘を受けて、今回のトロント公演に至った。海外公演も多数こなす工藤さんは 海外における舞踏に対する認識に疑問を抱いているという。

「どこの国にいっても、舞踏は知名度があるし、劇場に人は入っているんだけど、なんか違う捉え方をされているんじゃないかと思うんですよね。ヒーリングとか、救いとかを(舞踏に)求めているような印象を受けるんですよ。

世界中に広まっているだけに、解釈が交錯しているような感じがあります。それを正していかないといけないと思いますね。 あと、海外には興味をそそられる舞踏が少ないとも思っていて…。僕が思うおもしろい舞踏ですか? それはただ見てワクワクするもの。理屈抜きで人を感動させるものですよ」 

に、今年で21年目となる芸歴について聞くと、「長いよね。それだけ長くやっててこれだけしかできないの? って思う」と謙遜しつつも、今後も長く続けていくキャリアについて語ってくれた。「これが西洋の踊りだったら年齢で干されるんだろうけど、舞踏って長くできるんですよ。60、70歳までできますからね。103歳まで踊っていた人もいるんですよ。車椅子で手だけ動かして。西洋の踊りは跳んだりしますけど、日本の踊りはアスレチックな部分が少ないですからね。ちょっとした所作、目だけでもできる。気持ちで引っ張っ ていくのが日本の踊り。心躍るっていうくらいですからね」。

 
 


Biography

くどう たけてる

慶応大学仏文学部在学中、舞踏に出会い、玉野黄市に師事。1992 年よりソロ活動を開始。アスベスト館、山海塾などにて活動。今年3 月にはロシアのゴールデン・マスク芸術祭で主演作「満月」が作品賞を受賞するなど諸外国でも高い評価を得ている。10月には座・高円寺にて新作「降海の夢」の公演を予定。 www.kudo-taketeru.com