自殺学から語られる歴史
Toyomasa Fuse
ヨーク大学名誉教授(自殺学) 布施 豊正(2012年7月20日記事)

切腹の史実から辿る日本人のアイデンティティ

6月7日から2週間にわたり開催されていたトロント日本映画祭(TJFF)。そこでの出品作品『一命(英題、Harakiri : Death of a Samurai)』の上映前に、自殺学の権威である布施豊正教授が、江戸時代における切腹について解説をされた。教授の専門分野の自殺学というのは、1897年、フランスの社会学者エミュール・デュルケーム氏が出版した「自殺論」という書物から広がった学問。「自殺論」は19世紀後半に急増したヨーロッパ人の自殺について統計的にまとめられた書物で、教授自身、社会学の博士号取得の試験勉強の際に出会ったのだという。自殺を個々の人間の心理から説明するのではなく、社会的要因から類型化してまとめたこの文献に当時の教授は、感銘を受けられた。そこで、日本人の自殺文化の特性と言われている切腹という独特の風習と、そこに向かう日本人のアイデンティティについて世界に伝えようと思われたのが、教授が自殺学に興味を持ち始めたきっかけだそうだ。聞き慣れない学問である自殺学を追求する布施教授に、自宅で執筆中のところをお邪魔してお話を伺った。

映画『一命』は、江戸時代初頭に困窮した武士たちが、金銭を目当てに、大名屋敷で行なう狂言切腹を扱った作品。

「武士のアイデンティティを示す行為として行なわれた切腹は、10世紀に発生した武士団とともに発達した制度でしてね。武士は罪人のように死刑を受けず、自分で死に方を選べたんです。捕らわれの身になって恥をさらすよりは、敵の捕虜になる前に自分で腹を切ることを選びました。日本人には今でもその文化がありますよね。仕事で失敗して辞職することを”詰め腹を切らされた“って言うでしょ」

教授は、世界146か国の自殺を調べ、その傾向を各国ごとに比較。切腹の文化を持つ日本はやはり自殺者の多い国の1つ。それに続くのはヨーロッパの国々だという。自殺率の高い国の国民性にはどのような特徴があるのだろうか。

「長い文明を持つ国民は、人間同士が敵対心を表に出さない傾向があって、内面にアグレッション(攻撃性)を向けるんですよ。北米では他者へのアグレッションが高く、自殺より他殺の方が多いんです」

オンタリオ心理学財団より自殺学知識貢献賞を授与されている布施教授は、トロントにある自殺防止機関で8年間ボランティアを務めておられた。クライシス・センターと呼ばれる自殺防止機関は24時間対応の電話サービスで、自殺をしたい人の相談にのる。自殺願望者には、匿名で話を聞いてあげるのが一番の心理療法だという。

「身体の傷は目に見えるけれど、心の傷は病院に行ったところでわかってもらえない。精神的なつらさを病院で訴えても、睡眠薬を処方されるだけですよね。自殺をしようと思っている人には、心の中を洗いざらい吐き出す心の煙突掃除が必要なんです。電話を受けた際も、名前は?電話番号は? 住所は? なんていう個人情報よりも当事者の悲しみを共感、共有してあげることが大事なんです」

また、自殺学の専門家として心理解剖のために警察や裁判所に協力を要請されることも多々あるという。人は病気以外で亡くなる場合は変死として扱われ、変死はまた自殺か他殺に分けられる。

「解剖医が他殺ではないと判断し、自殺の疑いがもたれた際に心理解剖を依頼されます。その人の生まれた時から現在までの生い立ち、人間関係を徹底調査していくのが心理解剖です。遺書がある場合は自殺だと判断できるんですけど、遺書を残す自殺者は全体の25%くらいなので、あとは心理解剖による状況から判断するんです」

自殺とは自ら死を選ぶこと。欧米の考えでは、精神が健康であれば人は自殺を考えないとされている。しかし、日本人の自殺の歴史においては、この考え方は当てはまらない。切腹のほかには戦時中の神風特攻隊がいい例だと話される。

「特攻隊(=軍用機、高速艇などに爆弾、爆薬などを搭載し、敵艦船などの爆破を目的に、体当たりして乗組員ごと自爆させる戦死前提の部隊、戦法)は太平洋戦争末期の組織的な部隊作戦でした。航空機、艦戦、兵器などによる自爆で、生還するなんていうことは皆無だったんです。国への忠誠のために死ぬことが当たり前のような風潮でした。日本人のアイデンティティを象徴する史実ですよね。

 私も戦争中、辞令が下れば、特攻しようと弟と話していました。それを聞いた母親が、戦争で死なせるためにあなたたちを育てたんじゃないと涙をこぼしたんです。それを見て母親のために死ねないなと思い改めましたけどね」

日本においての自殺はこのように個人の性格や心理状況では図れない、国や主君者に忠誠心を示すという文化が自殺の背景にあるという。

プライベートでは、映画『男はつらいよ』のファンを集めた「寅さん映画研究会(通称トラ研)」をトロント在住の日系人で結成。

「海外生活でのストレスを寅さん映画の中に投影して吐き出していました。トラ研では、ある時は笑い、ある時は涙を流し、楽しみながらストレスを発散していたように思います」

『男はつらいよ』を日本では観たことがないという教授は、人生のほとんどを北米で過ごされている。教授が渡米されたのは昭和25年。占領軍の奨学生として選ばれた8人の中の1人としてアメリカ・ミズーリ州に渡った。

「当時のパスポートは日本国発行の旅券ではなく、連合国最高司令官ダグラス・マッカーサー発行の旅券。マッカーサーのサインの左横に小さく日本国外務大臣吉田茂と書いてあるんですよ。珍しいでしょ。私は海外に出られない時代に外に出た1人なんです。

海外で長く生活する上で、バイリンガル以上にバイカルチュラルになることが重要だと思いますね。2文化間を往復し、住むことができる人間になるには、言葉はもちろん、習慣や道徳など、その国の人と同じくらいのレベルで理解できること、その国のアイデンティティを共有できること、それができる人が真の意味での国際人であると思います」

教授が現在執筆中の本は、インド独立運動家スバス・チャンドラボースについて。大東亜戦争中、インド国民軍を率い、旧日本軍とともにインパール作戦に参加した人物だ。
「(日本の自殺の文化と)日本人のアイデンティティを語るのに戦争体験は外せない。当時のことを書くことは、自分の使命のような気がしています」。

Biography

ふせ とよまさ

北海道出身。1950年戦後初の留学生として渡米。54年ミズーリ・バレー大学卒業後、カリフォルニア州立大学大学院に進学し、社会学の修士号と博士号を取得。68年ベトナム反戦運動の一環としてカナダに移住し、モントリオール大学に準教授として赴任。同年12月、ノーベル賞委員会による特別招待で川端康成のノーベル賞受賞式に参加。72年ヨーク大学に自殺学の教授として迎えられ、カナダで初めての自殺学のゼミを開講。92年自殺学知識貢献賞受賞。著書は「自殺と文化」、「心の危機と民族文化療法」など多数。