地元民しか知らないリアルなキューバにどっぷり浸かる
Havana
(2018年4月13日記事)

Cuba

 

今回はトロントから直行便で3時間半で行けるキューバでの話。アメリカとの国交回復で街並みが変わる前に見ておきたいと思う人も少なくはないだろう。実際に私がキューバを旅した2004年当時は、アメリカと国交が回復するようなことが将来起こるなんて考えてもいなかった。その時はちょうどメキシコにいて、どうせなら隣のキューバにも行って社会主義という国を見てみようと思いついた。そのままジャマイカ、パナマ、コスタリカ、ニカラグア、ホンジュラス、グアテマラを3か月かけて回った。お土産などの欲しいものを現地で買って、そのまま箱に詰めて日本へ郵送していたため、日本に帰ったら長距離の旅をしたぼろぼろの箱が6箱あり、その国々の切手を後から見るのも楽しいものだった。3か月通して25リットルの小さなバックパックのみで旅をした、濃厚な3か月となった。






さて、メキシコのカンクンで購入したキューバまでの片道チケットは当時226ドル。その後、キューバのハバナとジャマイカ間が501ドルで思った以上に高かったが、キューバを出国するためにはチケットが必要だったため、慌てて購入したのを覚えている。12時半のフライトは12時に搭乗手続きを開始し、数名の客を座らせて、12時29分には空の上だった。カタカタと窓がひび割れしそうな音がする、簡単な作りの飛行機だった。あっという間に到着し、イミグレーションでは「意地でも英語は使わないぞ」という感じの頑固オヤジとスペイン語のみでの会話で、しょっぱなから手強い感じがした。観光客向けのホテルは高くつくため、口コミで知った1日20ドルでホームステイができるおばさんの家にお世話になる。温かいシャワーは10分しか使ってはいけないと言われ、毎朝何時にシャワーを浴びるのかと起こされる、なにかと細かい性格のおばさんの家だった。そして行く場所行く場所で「チノ! チノ!」と言われる。第一印象は良くない国だった。






親日家のキューバ人との出会いで特別な旅に

日本人の女性と結婚し、翌月に北海道に引っ越すという親日家キューバ人と偶然街で出会った。スペイン語圏のキューバの旅は困難でもあったが、彼は英語が話せて、しかも日本語を話せるようになりたいというキューバ人だ。新しい出会いは楽しいもので、すぐに仲良くなり毎日遊んだ。キューバの値段設定は、観光客向けと地元民向けの2通りある。観光客用タクシーではなく、大きい護送車のような地元民のバスを乗りこなし、ホテルで1つ2ドルで売っているクロワッサンでなく、ここが食堂だとは知っている人にしか分からないであろう場所で、1ドルの焼肉弁当や2つで1ドルのピザを食べる。とても濃厚で、そしてお金のかからない旅になった。さらに、現地で足に怪我を負った私だったが、医療費が無料という国のとてもうれしい恩恵も受けた。何よりも、出会った彼のおかげで、キューバが好きになるのに時間はかからなかった。






高い波が打ち寄せるマレコン通りのひととき

旧市街に行くと、おじいさんもおばあさんも音楽にのって踊っている。走っている車はレトロな車ばかりで、映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』そのもの。高い波がときたま防波堤を越えて、海沿いの道に流れ込むマレコン通りでは、昼間はのんびり海で遊ぶ子供たちを見て和み、夜は肩を抱き寄せながら赤ワインのボトルを回し飲みして歩く、素敵なカップルを見て憧れる。昼も夜も、そこにいるだけで楽しめる場所だった。夜のクラブでは、カップルの男性が女性にバラの花を渡している。最初は手強いと感じたキューバは、知れば知るほど温かく、そしてセクシーだった。写真も今のようにデジカメで撮るのではなく、フィルムで撮影してキューバで現像までした。今見ると色合いがまたクラシックな雰囲気で、キューバの良さをますます際立てている。 「国のシステムは最悪だ。だから日本に行くのが楽しみなんだ」と言っていたあの彼は、今頃きちんと日本を楽しめているのだろうか。ふとそんなことが頭をよぎった。


Biography

岡本まい
1976年生まれ横浜出身、通称オカマイ。ライター、コーディネーター、ジャマイカでのガイドを行なう。『危ない世界の歩き方』『まずは行動する人がうまくいく』著者。
instagram: okamai_ja

 

Havana, Cuba